私以外私じゃないの

昨年はいつになく精神的にきつい一年だった。理由は自分でもよくわからないが、とにかく自分に自信が持てなくなり、自分が必要とされている場所はどこにもないのではないかとか、自分が得意だと思っていることは実は全くたいしたことがないのではないかとか、何をしても評価されることはないのではないかとか、そういった頭に沸いてくる様々なネガティブな妄想に反論が浮かばないままネガティブスパイラルに陥って、気がつくとふと涙がこぼれてることも一度二度じゃなかった。

自分の存在価値と居場所。一言で言えばそこに苦しんでいたのだと思う。特に一番ひどかったのは、会社で年下の同僚が自分より職位が上がる試験にトライしていることに気づいたとき。彼と比べて自分がその職位に値しないと評価されていたと知り、かつてないダメージを受けた。なぜ、自分だとダメなのか。どこが足りないのか。コミュ力がないということなのか。組織でのサラリーマンとしての作法がなっていないということなのか。自分が必要だと思って力を入れてきた能力開発が実はまったく見当外れだったということなのか。そもそも今までなぜ自分が評価されていないということに気がつかなかったのか。そんな諸々の考えが京都の美術館で絵画を見てるときふいに襲ってきて、狩野派の屏風のガラスの前で号泣した。くやしい。悲しい。情けない。どうしたらいいかわからない。苦しくてたまらない。誰か助けて。そんな様々な感情が波のようにやってきては遠ざかり、またやってくるということをしばらく繰り返して、美術館の展示室で声を殺してただただ泣き続けた。

その後何人かの信頼できる先輩たちに状況と気持ちを話して、「他人からの評価はどうにもできないかもしれないが自分なりにがんばり続ければきっと誰か見てるから」と言われたり、「上司からどう見られてるかなんて事を基準にして仕事をするより、自分がやりたいことをやればいい」と言われたり、「そんなに気になるなら直接上司に理由を聞くしかないんじゃないのか」と言われたりした。まったくもっともなことばかりだ。結局、上司に面と向かって聞けるほど自分がちゃんと仕事をしているという実感を実は持てていない、ということに気づき、まずはそこからだと思い直した。胸を張って、自分は自分なりに精一杯やっていると思っているが、何が足りないのか教えてほしい、そう上司に言えるようになることが先決だろう、と。

あと、課外活動で心理学の大先輩の先生の講演会の事務局をやり、その打ち上げでその先生が70を過ぎている大御所なのに昨年オーストラリアに行ってナラティブセラピーのワークショップの初心者コースから受講して一から学んだ、と聞いたとき、そうか、いくつになっても、学びたいと思ったら学べばいいのだ、と目からウロコが落ちたような気がした。自分の中に答えがないなら、さらに新しいことを学びに行けばいい。世の中は自分の知らないことであふれている。こんな偉い先生が初心者として学びにいくくらいなのだから、自分のようなレベルの人間はもっともっと学ばないといけないはずだ。

ゴールデンウィーク頃、ラジオや飛行機でひんぱんに耳にしたゲスの極み乙女。の「私以外私じゃないの」。この歌は結果的に2015年の自分を支えてくれる言葉になった。

「私以外私じゃないの
当たり前だけどね
だから報われない気持ちも整理して
生きていたいと思うのよ」

報われない気持ちを整理して、納得いかないことが多い中で、それでも私以外は私じゃない。それを忘れずにしばらくじたばたし続けよう。そんな風に思えるのに年末くらいまでかかって、そして新しい年を迎えている。

Happy New Year

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