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不信から得られる自信

忘れた頃にやってくる

どうも

僕です。

台風ブイブイふいてます。私の住む地域は端っこに絡んでる程度ですが思った以上ですね。

10号はがっつり暴風域に入る予定ですので、予行練習って感じですか。。

10号怖え〜

さて、本題です。


不信から得られる自信


また変なこと言ってると思ったでしょう。

僕には自分で考案し多くの人に伝えさせていただいている臨床手技があります。

人に伝えるぐらいだから受講していただいている皆さんからみれば、自信に満ちあふれている様に思われているかもしれません。

たしかに30年も臨床やってるんですから、そりゃある程度自分の臨床に自信はあります。無けりゃ悲しすぎます。笑

ただ、それは臨床スキルという大まかな部分においてであり、手技そのものに対する絶対的な自信、信頼ではありません。

むしろその逆です。

たぶん、いや確実に自分の手技を一番疑っているのは僕自身です。

セミナーを受講されてきたかた申し訳ありません。が、もう少し読んでいただければ理解していただけると信じています。笑

これは業界にかぎっての話しではないと思いますが、信じるという言葉を勘違いしている人が多いように思います。

自らを信じると書いて自信と読みますが、自分がやっているテクニックを信じる=自分を信じるではありません。

いつも言いますが知識や技術は道具にすぎません。大事なのはそれをどう使いこなすかです。

道具を信じる。知識を信じるというのは、自信では無く信仰です。

私は常に道具に対しては疑うというスタンスで仕事をしています。

単に天の邪鬼なのかもしれませんが、それは自分が考えた手技やこれまで学び実際に臨床で用いている多くの手技に対しても同様です。

刺激の場所をずらしたり、本当はこうなんじゃないかと格好だけ真似て刺激しなかったり。皆さんに伝えている手法を変えても同じ結果がでるのではと常に否定的立場から自分の手技を攻撃してみています。

そうやって疑って疑って、否定的な視点で結果に対してドライに捉えながらも、どうしても否定出来ない部分だけを皆さんにお伝えしています。

信じてないけど、現段階ではどうしても否定出来ない。

それが私の伝える事についてのこだわりであり、自信です。

ですから、質問やツッコミがあってもこう答えることしか出来ません。

だって良くなったんだもん。

もし否定された時は、そこに関しては潔く「ごめんなさい」します。これ約束です。

なんか、私のセミナーの宣伝になってる感じですが、まあそれも良しということで

(だって2月からまっっっったくセミナーやれてないんだもん。。。もん。)

信じてないからこと信じるに値するものを提供できると信じている私なのでした。

なんかまとまりませんが、書き直すのもめんどいので。

自らの臨床を科学的というのであれば、常に自分を否定する姿勢、すなわち反証可能性に対して真っ向から向き合う姿勢が求められるのではないでしょうか?なんかその辺、ゆるくなってないですか?うちの業界。まあ月並みですが、それが出来なきゃ、天動説を信じて疑わなかった昔人と同じだあね。もう過剰な手技信仰はやめようよ。上手くいかないのは道具のせいじゃないよ。

以上

若い皆さんの考えるきっかけになればマンモスウレピー もうすぐ51歳でした。笑








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