涙が流れた
Facebookの友達が映画のことを書いていたので、ネットで探して見てみた。
ハドソン川に墜落した飛行機事故を巡る映画で、事故をめぐる機長の判断が問われるという複雑な話だった。
映画が終わりかけた頃、いつのまにか私の目は潤み、涙が流れてきた。嬉しいとか、悲しいとか感じたわけでもなく、涙だけがあふれた。
そうこの涙と感情の乖離状態は、向精神薬の減薬の影響だ。
向精神薬が減ったせいで、私の脳には、今まで遮断してきた刺激が入り込むようになってきたのだと感じる。
最近、夫と些細なことで口論になることが増え、原因を話し合ってみたところ、減薬をはじめた時期と感覚過敏との関連もわかってきた。
感動的な映画を見て、その感動で涙を流したはずなのだが、肝心の私の心はまだ感動という感覚を実感することが難しい。現実にはまだ心の暴走をとめるための薬の影響が残されているというわけだ。
薬をやめたらほとんどの人は再発すると元の主治医は言っていた。それはそうなのかもしれないけれど、映画を見ても、感動的な話を読んでも、何も感じないでいることが幸せなのだろうか。
過敏に反応してしまう感覚をどう制御していくか。
その答えは、モノローグに陥らせない環境にあると思う。
社会から取り残されて自分1人で解決を試みようとすれば、自ずと短絡的な思考に陥り、見当違いなところに答えを見出そうとして、悪循環の中で幻覚、幻聴、妄想に取り憑かれてしまうのだ。
その心の悲鳴をきちんと聞き届けた先にしか、人として安心して暮らせる未来は訪れない。