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セレンディピティ(serendipity)という概念に限りない希望を感じる理由

2014年6月10日にブログに載せた記事の転載です。

今まで「セレンディピティ(serendipity)」という言葉を聞いたことがなかったけど、今日になって突然複数回目にして驚いた。

Wikipediaによると

セレンディピティ(英: serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運をつかみ取る能力のことである。

とある。

個人的にこの概念はすぐに興味が湧いた。

以前、茂木健一郎さんが行っていた「偶有性」に通じるような気がしたのもあって。

偶有性とは、僕の解釈では、想定外のことが起こる「余地」があることで、それが「脅威」にもなりえるけど、逆に「理想以上」の結果になることもあるというようなこと。

多様性を認めない排他的なグループや思想はこの偶有性の余地がなく、良くて予定調和の結果しか導けない。

また、目的を達成するためだけに行動することは、例え目的が達成されたとしてもそれ以上の結果は望めない。

だけど、その過程で寄り道をしながら新たな気づきを得て方向性を柔軟に変えていける人は、目的達成以上の結果を導きだせる可能性があるということ。

参考:「偶有性」の余地をポジティブに捉える

https://bokudeki.me/the-accident-look-positively-room-for-sex/

「偶有性」はあくまで「現象」や「性質」のことを指すのだと思うけど、「セレンディピティ」はその偶有性をコントロールしてポジティブな効果を得る人間の「能力」なんだと思う。とても素晴らしい能力だと思うし、この能力があれば無駄なことなんてなくなっていくのかもしれない。

そして、この概念を「社会」と「その構成員としての人間」という関係に応用してみると、セレンティビリティは「ソーシャルキャピタル」というような概念に置き換え可能かもしれない。

どちらにしても、「予定調和」とは対局にある考え方であることは間違いない。

僕がこの「セレンディピティ」という概念に希望を感じるのは、どこまで可能性が拡がるのか全く見当がつかないから。

思い描けるあらゆる理想よりもベターな結果がもしかしたらあり得るかもしれない。「理想」は必ずしもベストではないということ。

「偶有性」というものを脅威としか捉えない風潮はあるけど、これを打ち破り人々がセレンディピティを身につけて行動するようになったときに何が起こるのかを僕は見てみたい。

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