来世の失恋

 その人はとにかく出来た上司だった。優秀な上に礼儀正しく、さらに正義感も持っている上に思いやりまで兼ね備えている。相談すれば必ず力になってくれるし、困難な案件があれば矢面に立って部下を守ってくれる。そのくせ、時々おっちょこちょいなところを見せて、周りを和ませる。誰もがその能力と人柄を認める、むしろ反則なのではと思うくらいに完璧な人だった。

 私は、正直なところ理不尽と不公平がまかり通る自分の組織を嫌っている。けれどもその人が出世していけば、この組織も少しは良くなるかもしれない。私にとってその人は、くだらない闇の中でかすかに浮かぶ、希望の光でもあった。私は当然その人を尊敬していた。そう、尊敬だったのだと思う。

 さて、私はいい年をして独身なのだが、ある時ふと気が付いた。そうか、こういう人と結婚すれば、幸せになれるのか。先に断っておくがその人にはすでに妻と子供がいる。しかも忙しい身でありながら家族を最優先にし、奥さんと二人で過ごす時間も大切にしていた。仕事も完璧、父としても夫としても完璧。これ以上理想の結婚相手など他に存在するだろうか。それならばその人に似たような人を探せばよい、という考えもありそうだが、あんなに出来すぎた人はこの荒んだ世の中にはそういない。
 あれっ、じゃあどうしよう。少し考えた結果、私はある解決策を見出した。それは「来世にお嫁にもらってもらう」というものだ。果たして来世が存在するのか、仮にあったとしてうまいこと妙齢のタイミングで再び出会うことなど可能なのか、細かいことはよくわからないが、私にとっては最善策であるように思えた。よし、それで行こう。
 勝手にそう決意してからの私は、来世の幸せが約束されたような気分になっていた。「結婚するならば好きな人よりも尊敬できる人を選んだほうが良い」というアドバイスをもらったことがあるけれど(私は行き遅れのため、あらゆるひとから様々な助言をもらっているが、生かせずに今に至る)、きっとこういうことだったのだ。来世が来る前に答えが見つかって、本当に良かった。

 しかし、だからと言って本人に「来世には結婚してもらおうと思うのでよろしくお願いします」などと宣言するほど私も狂ってはいないので、この決意はこの胸だけに留めておくつもりだった。しかし、職場の行き遅れ友達とランチを楽しんでいたある日、ちょっとした気まぐれで「私、来世はその人にお嫁にもらってもらおうと思っているんだよね」と決意表明をしてしまった。するとそれを聞いた彼女の反応は実に意外なものだった。
「やめた方がいいよ。あっちは立派な家柄の出だから、釣り合わないよ。」

 来世の結婚相手についての話をまともに受け入れてくれるだけではなく、真剣に答えてくれる友達を持っているなんて、なんと幸せなことか。それはともかく、私は彼女の反応に驚きを隠せなかった。その人は誰が見ても「非の打ちどころのない結婚相手」だと思っていたからだ。しかし彼女が言うには「申し分なさすぎる」ようなのだ。
 しまった。確かに私にとってその人はもったいないほどの相手だが、来世分の努力を上乗せしたとて私の価値などその人にとっては取るにただないものであることを計算に入れていなかった。私は勝手にお嫁にもらってもらおうと決意したけれど、向こうが私をお嫁にもらいたいかについてはこれっぽっちも考えていなかったのだ。こういうところが今世でモテなかった要因(のひとつ)であるに違いない。
 それにしても、その人の家がそんなに立派だとは知らなかった。しかしそれならば彼女の言うことにも一理ある。そう言われてみれば確かにその人は品がある。一方の私はバリバリの平民だ。家柄のシステムが来世にどれだけ引き継がれるのかはよく分からないが、いつの時代も身分違いの相手とは釣り合わないと決まっている。若い頃ならば「そんなの関係ねえ」とオッパッピーするところだが、年を重ねた今ならばわかる。人というものは生まれた時点である程度住む世界のレベル分けがされているものなのだ。

 それからしばらく、私は彼女の言ったことについて考えた。考えれば考えるほど、彼女の助言は正しいように思えた。仮に家柄の違いを無視してエイヤと結婚したとして、釣り合わなければ互いに苦しんで終わりを迎えるのがオチだろう。それでは誰も幸せにならない。結局私は彼女にこんなメッセージを送った「私、やっぱり来世にその人と結婚するの、やめることにした」。なんだかんだで長い付き合いの彼女は、私の夢物語にも真剣に返信してくれた「うん、その方が良いと思うよ」。

 そんなある日、職場の人事異動が発表された。その人はおおかたの予想通り中枢の部署に行くことになった。
 最後の日、私はその人に感謝を伝えた。「私なんかが一緒に働けるような人じゃないから、同じチームで働くことができて本当にラッキーだった」と言う私に、「そんなことはないです。また一緒になることもあるかもしれません」とその人は笑顔で応えてくれた。けれども私は分かっている。きっとそんな日は永遠にやってこない。この数年間は、ただの幸運な運命のいたずらに過ぎなかったのだ。
 柔らかな紙の上ににじんでいくインクのように、私の胸の奥にじんわりとした痛みが広がっていく。尊敬する人と距離を感じると、こんな風に心が痛くなるものなのか。

 そして新しい春を迎えたある日の朝、職場へと続く道の途中で、出勤中のその人を見かけた。咄嗟に挨拶をしようと口を開いたけれど、もう軽々しく声をかけてはいけないような気がして、私はわざと歩みを遅らせながら、その人に気付かれないように距離を取った。私の存在になど気づくはずのないその人は、颯爽と自動ドアをくぐっていく。その背中を見ながら、なんだかずいぶん遠いところに行ってしまったなと肩をすくめてから、私はすぐに自分の間違いに気が付いた。
 そうじゃない、その人は自分がいるべき場所に戻っただけなのだ。私がいる場所からずっと遠い場所に。

 私は今でもその人を尊敬している。どんなに偉くなっても、ずっと今のままのその人でいてほしいと思う。そしてこれから先、その人やその周りで、辛いことや苦しいこと、その人の正義が揺るがされるようなことがなるべく起こりませんように、と願っている。それから、ずっとずっとその人が、家族とともに幸せに過ごせますように、とも。

 私はこれから先もその人を尊敬し続けると思う。うん、この感情は尊敬、なのだと思う。

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