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中共の経済政策とその基礎理論の指導者

〔57〕  〔56〕の後半を分離せるもの
 かかる支那社会の人心を一洗したのは結局、毛沢東と周恩来の興した中国共産党で、その拠って立つ思想は「一国共産主義」であった。周辺国を経済支援しながら属国化するのは安全保障が主旨であった。
 つらつら惟うに、この中国流共産主義は古代オリエントの帝王思想が未だに支配する支那の國體に合わせた國體共産主義と謂うのが適切であろう。支那国家の伝統として建国の当初は緩衝地帯が欲しいのであるが。やがて膨張主義の段階に入ると資源や交通の要衝を
確保したくなり傭兵を用いた周辺侵略を始めるが、だいたいその頃に王朝の命脈が尽きるのは、人口の増大による食糧不足が主たる原因である。
 WWⅡが後り、台湾に亡命した中華民国と国交を結んだ日本は
昭和四十七(1972)年になって、相手を支那本部の実効支配者たる中共に変えた。
 中国国民党の蒋介石政権を支援する形から日本との戦端を開くに至った米国が、結局蒋介石政権の腐敗に耐え切れず、共産中国国を誕生させてしまったことで西洋文明社会に対する世界史的責任を負うこととなった。
 この責任を逃れるため、日本領台湾を国民党政権に提供する一方、中共を支那大陸に封じ込み外圧鎖国することで誤魔化してきた
米国は、一九六〇年代に始まったベトナム戦争の失費でブレトンウッズ通貨体制が支え切れなくなり、ついに外圧による中共の鎖国を解いて経済を解放し、支那大陸を世界経済に編入することで米ドル体制(ブレトンウッズ体制))の維持延命を図ったのである。
 日中国交の樹立と貿易開始はニクソン大統領の米中国交開始に倣ったものだが、日本国内には以前からこれを勧める意見がありわが義叔吉川氏の建言もその一つで、ようやく実現したが、白頭狸にとって遺憾は、中共の国連加盟を提言した「アルバニア決議」が「一つの中国」を言い出し、米国をはじめとして諸国がこれを安易に受けいれたことである。
 台湾と中京の相手先交代を正当化するための方便として用いられたこの説は、アルバニアが中共の工作に乗せられて提出したものである。
 そもそも台湾政府と友好関係に在った米国をはじめとする自由主義国家が歴史的・文化的にみて到底支那とはいえない台湾島を、支那の概念に含めて「一つの中国」と断定したことは、重大な地域紛争のネタを意図的に確保したことになる。
 朝鮮やベトナム・ドイツと異なり、ほんらい支那の一部でない台湾をムリヤリ支那と同一視するのは、そもそもムリで、世界に通用する筈もない。
 中共の狙いは、あわよくば台湾島の併呑を対日勝利の象徴とすることであるが、そもそも日本と戦争していないのだからこれはムリで、当初は近代中華思想特有の被害妄想が必要とする緩衝地帯にここをしたかったのであるが、経済力が着いた今日では香港と共に、その生産力も欲しくなったのである。
 それなら満洲も同じ事情にあるが、現状がWWⅡの後始末として
取りあえず中華人民共和国に組み込まれ満漢再統一となったところが異なるのである。
 満漢再統一は、国際連合の歴史のなかでも最も不可解な事件であるが、結局朝鮮半島やベトナムと同じく、国家分断体制を故意に作り出す世界的謀略と考えざるを得ない。
 しからば支那・満洲・台湾をこのような形にしたままの理由の解明が課題となるが、後日の作業とすることとしたい。
 ともかく昭和四十九(1972)年の日中貿易協定に始まる日中貿易
が一層本格化し、日中経済関係に発展させたのが平成六(1994)年に誕生した「自社さきがけ政権」で、何といっても日本社会党の頭首村山富市を担いだところに、中共に対する重大なメッセージが込められているのである。
 日中経済関係の確立とは、日本の支那支援が貿易に留まらず金融体制や社会体制にまで広がったもので、これに当たったのが村山改造内閣の通産大臣橋本龍太郎と経済企画庁長官宮崎勇であった。
 前者の役割が中華人民共和国の国際舞台への登場に尽力することで、後者が近代的な経済および金融体制の樹立に向けて中共を指導したのであるが、國體の期待に反することとなり不運な結末を迎えたと聞いたが、詳細までは知らない。
 因みに、平成五(1993)年に第一副首相(国務院副総理)に就いた朱鎔基は外資を呼び込んで経済済開放政策を推進し、五年後の平成十年に国務院総理に就任したが、平成十三(2001)年にいたってWTO(世界貿易機関)加盟を実現した裏には橋本龍太郎の支援があった。その朱鎔基が日本人に会うごとに「宮崎先生が、宮崎先生が」と讃えていたことを、わたしに教えてくれた人がいる。
 経済政策では宮崎勇が中共首脳を指導したが、経済学を以て中共に貢献したのは六十年安保の際の全学連の闘将であった京大名誉教授青木昌彦ではないかと思う。

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