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支那シフトがもたらした邦人の萎縮 10/3

〔63〕支那シフトが生んだ人心の萎縮
 第六章のタイトルは「日本の真の再生に向けて」としたが、考えてみると停滞にはそれなりの原因がある筈なのに、これまで明確に指摘した人がいない。
 かねてからその原因を「日本経済の支那シフト」と判断したわたしは、「竹下登という大政治家がこれを実行した」という事実を、一般国民はおろか政治評論家さえ気付かずにいることを以前から遺憾に思っていたから、その説明に深入りしているうちに予定の紙数が尽きた。
 竹下先生の死因というか下手人は未詳だが、経過からして月光仮面が属する勢力とみるべき筋であろう。とすればハワイで事業展開する邦人企業に繋がることになるが、確たることではないので洞察の対象にしないできた。
 一言すれば、竹下登の死因を巡ってCIA説が喧しいが、管見の及ぶ限りでは、CIAは他国では知らず日本国内では自身の手を汚すことはしないようで、日本国内に幾らでもいる手下の邦人を使用することを鉄則としていると思われる。
 さて、第六章のタイトルと内容に若干のズレが生じたが、これは単行本にする時に構成を整えることとして、ここはともかく第六章を締めくくらねばなるまい。
 第六章の論点は「平成大停滞」すなわち平成日本が陥ったゼロ成長経済の真の原因にある。わたしの見る真因は、おおよそ以上で述べたつもりであるが、言い忘れたこともあり、まず日本円の強さを支える要素について一口だけ述べてみたい。
 日本円の強さを支えるのは何よりも日本社会の経済的生産性である。社会の生産性は、構成員の個体的職能力と集団としての生産能率でおおよそ決まる。日本人および日本社会は他国に比較すると、これが抜群に高かったが、平成に入って相対的に低下したように思う。
 つまり先進国たると途上国たるとを問わず、怖ろしい勢いでIT化が進む世界の中で日本だけが置いて行かれたように思われる。具体的に言うとまず「サービス残業」である。民間企業で働いていたわたしは、残業における労働と賃金について多くを経験し残業問題の本質をある程度理解したつもりだったが、その後官庁で働くことになり、「サービス残業」が恒常的に行われている現場を実体験することとなった。
 「サービス残業」にもいろいろあるが、官庁におけるキャリ・準キャリア官僚のそれは「労働」という概念で説明できるものではなかった。理由は詳しく言うまでもないだろう。
 残業すなわち時間外労働の時間当たり生産性は、延長された労働時間(限界時間)と延長労働で生み出された追加生産物(限界成果)の比として決まる。
 事務労働分野では、一般的にいってダラダラ残業の生産性が正規労働(時間内労働)よりも高い筈はないが、そんな事より残業の必要性を生み出そうとして正規労働(時間内労働)を怠る気風が溢れる職場をしばしば見かけた。生産現場のことは深くは知らないが、事務労働分野では残業代稼ぎ癖が定着している現場の例が多かったと思う。
 思うに、日本企業のあらゆる分野にみられる残業というものは、有給でも無給(サービス)でもそれぞれに問題があるが、その根底が終身雇用制に根差す企業文化に起因する、とわたしは睨んだ。
 日本の企業文化には色々の特徴があるが、最も肝要なのは「独特な責任逃れ」である。この傾向が近来とみに甚だしくなってきたのは、一つには外人との取引増大から生じたものかも知れぬが、顧客に接する態度が紋切型になったところに責任逃れの意志が露わに窺われるように感じる。
 これを要するに、バブルの崩壊に接して人心が大いに委縮したのである。日本企業のとくに事務部門の低生産性は第一に「ITへの不適合」、第二に「企業文化」で説明されるが、近来生じた「責任逃れ志向」がこれを追い打ちして、淀んだ産業界を作り出しつつあるが、それも支那シフトがもたらした、日本人の自信喪失によるところが少なくない。
 金融や経済を論じる向きは、平成大停滞の原因を、➀消費税の影響による消費性向の低下、➁労働分配率の低下による労働収入の減少、③ゼロ金利によ利息収入の喪失,④人為的な円安による輸入物価高などを列挙して、この反対をやれば大停滞を脱却できると論じている。それもそうだが、その実行はいわゆる「狂瀾を既倒に巡らす」の類であろう。
 平成大停滞からの脱却はそこまでしなくてもできるのだ!
 「令和の大復活」を実現するのはどうすればよいか。次章で考える事にしよう。


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