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黄金螺旋と歴史構造 10/26

 〔76〕黄金螺旋と歴史構造論
 さる十月二十二日、東京で中伝講演を行うも、胸中にざわめき生じた白頭狸は講演まとまらざるを感じて動揺した。心中の揺らぎは哲理の新発見あるべき予兆なれば、受講者には申し訳なく思いながらも、胸底平らかに帰路につき二十四日に帰庵した。
 折から善財童子の来訪あり。閑談するに六六七番地にて修復中の善財精舎(仮称)の庭に狸と穴熊が出没するとのこと。六六六番地の隣地なればさぞかしマイトレイヤの眷属の善神にてあらん。
 翌日、同地の優婆夷来りて猿猴出没するとの報告あり、惟うにこれ国土自然に生じつつある変化の兆しにて如来寿量品第十六の「我此土安穏」の顕われなるか。
 忽ち一睡した白頭狸はて宵に目覚めて机に向かいNOTE〔75〕を説く。歴史は偶然の集積ならず奥底に確固たる構造あり、之に則って進展するの四階級交替史観の梗概を述べたるなり。
 一文を畢えたる後、他者のNOTE を散見するに「眼光紙背に徹する白頭狸先生の洞察術の一端」なる一文あり。筆者は拾得先生という。
 拾得先生曰く。白頭狸の洞察は「あたかも黄金螺旋を描いて歴史の真相に向かって収斂していき、同時に歴史の真相から黄金螺旋を描いて歴史情報の因果関係を整合する精神運動であると言えます」と。
 これ実に甚だ我が意を得たるところなり。そもそも東京講演に際して感じた胸騒ぎの原因は蓋しこれなるか。上京の列車中に須磨穂を紛失したる白頭狸は、落とし物センターより未発見との報告に大いに悩むもこれを胸底に収め、いずれ高潔の士のわが須磨穂を拾得せんことを願い、マイタレイヤの真言を唱えつつ帰院したるに忽ちこの奇瑞あり。
 奇瑞とは拾得先生のNOTEのことにして名は体を表すという。折からJR西日本より電話あり、わが須磨穂の車中にて追発見を伝え来れり。
 拾得先生はたして何者か。さだめし天台山の寒山拾得に名を得たるならんその人が白頭狸を論じたるNOTEに接するは、須磨穂発現を我に知らすマイタレイヤの御心と感じて真言を三唱せり。
 ただし右はワタクシの些事に過ぎず。オホヤケの大事は拾得先生の説く「黄金螺旋」にあり。こは遠心波と求心波の絡み合う二重螺旋形のことにし歴史構造の本質すなわち是也。核心より遠ざからんとするもの、これを「遠心波」」といい、核心に戻らんとすも、これを「求心波」という。両波の重なりて生ずるNODE(節)とANTI-NODE(腹)が歴史の節目節目となることはすでに述べたり。
 人類社会が四階級を以て構成さるることは、近代の社会学者の説を待たずとも、すでにインド発祥のカードに明かなり。政体の変革は四階級の循環にてその段階すなわち💛・♠・♦・♣の順にしたがって進み、♣が終焉するに至りて💛が生ずるのが歴史の構造なり。
 世の中はことごとくこの理法にしたがう。ゆえにカバネの代すなわち豪族制社会は遷りてツカサの代となり、ツカサの代すなわち古代貴族制社会は変じて名の代となり、名の代すなわち封建主義社会は行き詰ってオホヤケの代となるも、オホヤケの代すなわち民主主義社会において人間社会のエントロピーが極大に達しカタストロフを迎えると現れるのがスメラの代である。
 スメラの代すなわち一君万民の社会は、ウカラヤカラをなす万民がスメラギのもとにおのおのその職分を尽くして本懐を遂げる社会なりと、白頭狸云爾。


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