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伊藤野枝は後藤新平の草

〔53〕伊藤野枝の話
 本日退院して参りました。一週間ぶりで入浴してすこしぼんやりしていたところ、門人同志から「水曜日にNHK-BSで伊藤野枝のドラマをやっていた」とかの通報がありました。実は昨日校了したばかりの大杉栄に関する新著『國體志士大杉栄と國體参謀甘粕正彦の対発生』の内容にに資する極めて重要な報告があったのですが、それはそれで次項に譲り、本項では新著から伊藤野枝に関する部分を引用して諸賢の閲覧に供せんと思います。

 一・青山教会に潜入した伊藤野枝
 拙著『石原莞爾の理念と甘粕正彦の策謀の間』が書き落した部分を以下に掲げます。

 青山教會
    正統派(メソヂスト教會)
  ポンピドウ神父
     この神父の妹との間に閣下の子供
     その子供と甘粕さんの愛人関係
     教會にもぐりこんが野枝

  藤根さんの説明である。
  藤根さんは後藤新平から聞くと共に
  野枝を使うは大杉にて
  大杉は本來、後藤直接というかおをせぬために
  藤根さんがその間に頼まるることとなったようだ。

 ここから王さんに代って藤根さんが説明します。伊藤野枝に青山教会への潜入を命じた大杉栄は後藤新平の指示を受けていた、というのです。
 藤根がこの事を知っているのは、大杉を使って野枝を青山教会に送りこませた後藤新平が大杉との直接関係を避けるため藤根を間に入れたからです。
 当時青山学院の運営母体たる青山教会に潜入していたポンピドー牧師は、天津南開中学を運営する天津メソジスト教会が派遣してきたのです。
 メソジスト教会は、ハプスブルク家が創った政治秘密結社「大東社」の下部機関としての役割を果たしていたのです。「周蔵手記」に「藤田嗣治の結社は宗教のウラを押さえているのが強みとのこと」とあるのが、これを意味していると思われます。
 後藤新平は大杉が野枝に探らせたポンピドーの情報を、藤根を通じて受信していたのですが、これについては拙著『応神・欽明王朝と中華南朝の極秘計画』の一四一頁前後に詳述しましたから、ここでは略述します。

   二・俗流がいうユダヤの正体
 この会合で藤根は、ポンピドー牧師の妹が上原勇作の在仏愛人であることを明らかにしますが、これは周蔵にとって初耳ではなかったのです。
 「周蔵手記・本紀」大正十四(1925)年条の末尾によれば、上原邸でポンピドー牧師に出会った周蔵は、帰路その家に立ち寄ってアルザス料理をご馳走になりますが、その時の感想からすると、周蔵は上原とポンピドーの関係をあらかた知っていたように思えます。
 不肖はこれを知ることによって、明治十三(1880)年にフランスに軍事留学した上原勇作に「ハプスブルク大公」との結縁という目的があったことを知りました。明石元二郎の対露諜報工作として有名な明石機関も一人で造れるわけがないと思っていた不肖は、上原とポンピドーの関係から明石がハプスブルク隷下の大東社の支援を受けたことを悟り秘密政治結社大東社の実在を洞察できたのですから、落合流洞察史観の確立に寄与した極めて重要な情報なのです。
 ともかく、この事を知れば「閣下も甘粕さんも加わっているユダヤ」とは、メソジスト教会ないしその上部団体としての大東社を指すことが判り、いわゆるユダヤ陰謀説を巡る謎がほとんど解けるでしょう。
 それにしても藤根がこの会合で語った上原勇作と甘粕正彦の秘密の親族関係は誰から知ったものなのか。
 周蔵の頼みを受けて周恩来の下宿を世話した藤根は、上高田の第二救命院に来た王希天と知りあい、その友人の呉達閣とは京都で知りあいました。かれらは天津南開中学の三羽ガラスとして天津大東社の上層でもあり、親方ポンピドーのことを知っていましたから、この線が有力ですが、水沢キリシタンとしてのカシラ後藤新平が洩らしたとも思われます。
 ともかく、王希天も周蔵もすでに知っていたことですから、大杉がフランスで何を調べてきたにせよ、これをネタに上原・甘粕をユスルのは、いかにもムリのように感じます。
 それに、そもそも大杉は甘粕とは敵対関係にないのですから、甘粕に殺される筋合はありません。

 引用はここまでです。あとは新著にて

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