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平成大暴落の真因は日本経済の「支那シフト」9/22

第六章 ストック経済の再生に向けて
〔54〕平成大停滞の原因は日本経済の支那シフト
 「平成大停滞」とは、「平成大暴落」と同じく、例によって白頭狸の造語である。世間にいまだ膾炙せざることにおいて後者と選ぶところはないが、意味と雰囲気を一語で伝えるのに至極便利なので、わたしはこれを用いるのである。
 さて、前章では「平成大停滞」の入り口まで述べたが、その停滞がいつまでたっても恢復せず、本年まで三〇有余年を経た今もなお恢復の兆しを見せない。
 問題の所在はこの停滞がかくも長く続く理由にあるが、私見に拠れば、その理由の第一は平成三(一九九一)年から始まる「日本経済の支那シフト」である(これもわが造語である)。これを語る前に、白頭狸はその遠因を説明したい。
 いわゆるWWⅡ(第二次世界大戦)とは、
  ➀当初は英独間のちに独ソ間で戦われた第二次欧州大戦
 ②東南アジアを戦場とした日本と欧米植民地軍の大東亜戦争
 ③支那の内乱に日本が軍事介入したシナ事変
 ④日米が衝突した太平洋戦争
 ⑤日米戦争の最終局面におけるソ連軍の北方領土侵入
以上を併せた総称である。
 ➀の第二次欧州大戦では、ドイツがイギリス軍を制圧しながらソ連軍に敗北したが、日本も➁の大東亜戦争で勝ちながら太平洋戦争で敗れた。
②こそ日本にとってWWⅡの中核をなすものである。マレーシヤ・シンガポール・印度・ビルマが英、ベトナム・カンボジャ・ラオスが仏、インドネシアが蘭、フィリッピンが米と、タイを除く東南アジアの広大な領土と莫大な人口が欧米の植民地にされていた状態から解放したのは日本軍であった。
植民地には宗主国の派遣した植民地軍が駐在していたが構成上現地人は少なかった。植民地軍と戦った日本軍は赫赫たる成果を挙げたが、そのなかで自立を図り日本軍の軍事指導を受けた植民地軍がWWⅡの終戦後に植民地軍と戦って独立を勝ち取ったのである。
 戦争には必ず目的があり、勝敗は戦闘の結果にかかわらず目的の達成をもって勝敗を論ずる。大東亜戦争の目的たる植民地解放は、WWⅡの戦後に達成されたが、功績は日本軍と現地軍が相半ばするから、日本軍は戦争目的を達したのである。これを実質的戦勝という。
 ③支那の内乱とは、辛亥革命すなわち満漢分離の後遺症が国際共産主義の介入により拡大したものである。その中核をなす国共内戦はファシズムの国民党とコミュニズムの共産党の全体主義同士の内戦であるが、国民党が蒋介石派と汪兆銘派に分裂すると、後者を支援する日本が軍事介入してシナ事変が発生した。
 ④は日米が衝突して発生した太平洋戦争である。明治開国以来、日米戦争による日本征服を計画していた米国が、大東亜戦争の目的が、東南アジアの植民地解放よりも「同地の資源日本による獲得」にあるとみた米国が、日本を誘導して開戦せしめたものであるが、これについては多言を要すまい。
 ⑤は昭和二十(1945)年五月に対独勝利したソ連が日米戦争の最終局面において中立条約を破棄し満洲国と日本に宣戦布告して侵入した。ソ連の国家目的は反共主義の日独から國體共産主義(スタ―リン主義)を守ることにあり、独に戦勝したソ連が日本に対しても米に便乗して形式上の勝利者となり、ワルシャワ条約機構を創って共産主義化した東欧を囲い込み緩衝地帯を得たことで実質的に勝利したのである。
 このようにWWⅡの結果は連合国(対日独伊軍事連合)の英・仏・米・ソ・支が戦勝国となったが、これは単なる形式で、広大な植民地を失った英仏(および蘭など)の勝利は形式に過ぎない。
 支那では日本軍と戦う国民党蒋介石派が、領内を逃げ回る間に太平洋戦争で敗れた日本軍が投稿したので形式上の勝利を得たが、WWⅡ後の国共内戦で中国共産党に敗北して実質上の敗者となったので、中国共産党が日本に対する形式的勝利者の地位を承継した。
 結局、WWⅡの実質勝利者米ソ両国の二極覇権構造に形式上の勝利者たる英仏支が加わるいわゆる国連体制の土台ができたが、そこに対日戦争に勝てず共産党との内戦にも敗れたため形式上の勝利者ともいえない台湾政権(中華民国)が紛れ込み、常任理事国となったのは甚だ筋の通らないものであった。
 一九四八年の国共内戦に勝利して満洲帝国の旧領を併合した中国共産党が、国民党政権を日本領台湾に追い出してシナ本土唯一の政権となったが、連合国が創った国連体制に加盟できなかったのはWWⅡに参戦していない以上当然のことである。
 かかる経過から国連体制を締め出されていた中華人民教化国は、自由世界から貿易を許されず全体主義体制のための低成長に喘いでいたところ、ようやく陽の目を見る時機が来た。それがベトナム戦争で疲れ果てたアメリカが一九七一年に電撃的に発表したニクソン大統領の訪中で、翌年二月に実現したが、その背景理由などについてはすでに述べたからここは略す。
 之に即応して日本は日中国交回復に乗り出した。ここまでが「日本の支那シフト」の前半である。



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