ストック経済とバブル景気の崩壊 9/8
〔50〕ストック経済とバブル景気の崩壊
バブル景気の崩壊が平成三(一九九一)年二月と確定するには数カ月かかったが、その間にもマスコミはまったく見当はずれなことを垂れ流して世間を惑わしていた。
眼前に拡がる株価と地価の崩壊に直面してもがいている人々を、正義漢を極め込んで嘲弄する報道と論説には腹が立ったが、当時これを憤る人は、奇妙にもほとんどいなかった。
ただ筑波大学の宮尾尊弘という教授が書いた著書の題名に興味をそそられた。『ストック経済の時代』というのである。経済企画庁調査局部員を拝命したわたしは、内国調査課で住宅経済の分析を命じられたことから、「フロー経済よりもストック経済を重視すべき」という考えになり、課内でも主張しまくった。翌年の経済白書にフローとストックを足した概念「総合経済力」が登場したことには直接関係していないが、その一因にはなったと思う。
こういうわけで宮尾尊弘教授の『ストック経済の時代』に注目したのだが、ほかにも宮尾教授と株式評論家三原淳夫との対談本も出ていた。さっき調べて見たら『日本経済これが復活のシナリオだ 今こそ「発想の大転換」を』というタイトルである。
右の両書とも購入して読んだ筈だが今は手許にない。ともかく宮尾尊弘先生が謂われた「三重野の三重の誤り」は、わたしが二年目から一貫して主張していたのと同意見なので、わが意を得たと感じたわたしは、平成四年五月一日から書き始めた新著で早速言及させていただいた。
わたしが年来主張してきた「ストック経済論」は、経済活動の目標を物資(すなわち財貨サービス)の生産量の最大化よりも、資産(すなわち不動産・株式)の保有量の最大化に置くべし」というものである。
理由は「そもそも物資と資産の経済学上の性格が全く異なる」からである。前者は産活動の産物でその売上価格から原価を引き去ると所得が生じるが、後者は生産物でないから転売による所得は移転所得とされ生産活動として数えられない。そして「物価」とは物資の価格を謂い、資産の価格は物価には入らない。
所得から消費を除いたものが貯蓄で、その形態は預貯金などの金融資産と土地などの実物資産いわゆるストックをなす。一般的に所得が増加すると貯蓄が増えるが、その貯蓄が資本となって経済成長の元となるゆえ、結局経済生活の目標をストックの保有とするのが社会的に合理的な行動となるのである。
昭和末・平成初年のバブル景気は、プラザ合意を実行するために円を過剰にばらまいた結果、物価は上昇せず資産価額が高騰したのであって、これを崩壊させる“特段の必要”はなかったのである。
ではなぜ、三重野日銀が急速な公定歩合切り上げにより、バブル景気を凍死せしめたのか。資産格差が生じたことに憤る大衆の嫉妬心を刺激したマスコミが、公論めかして喚きたてることに日銀が反応したーーーと、一見ではそう見える。
わたしが『平成大暴落の真相』を書き始めてから一か月後の六月六日に、評論家谷沢永一氏が何かのコラムで、大衆の嫉妬心を煽る「朝日新聞」の手法をたしなめた。バブル景気がすでに前年二月に終焉し世間が阿鼻叫喚のただなかに在るこの時期に、「朝日新聞」は全社を挙げて「公定歩合を下げるな」と一大キャンペーンを張っていたのである。
理由は「年金生活者の預金の利息が減って困るから」といった陳腐で的外れなものであったが、これはマスコミ通有の不見識でそうしようもないが、問題は政体と日銀がこれに乗ってしまったことであるーーーーが、平成大暴落ははたしてそれだけが原因であったろうか?
ここに平成大暴落の秘密が隠れているが、解答は前回このnoteに質問があった方にパソコンで既にお答えした通りである。
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