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〔205〕中野正剛が抱いた甘粕疑惑 7/26 重要部分を大幅に加筆したので是非再読してください。

〔205〕中野正剛が抱く甘粕疑惑
 「敗戦記」もいよいよ面白くなってきましたので、引用を続けます。
 「敗戦記」続き(承前)   直前文「思い立ったら待ちもせず、来たのであろう」
 
 父は所番地とは違う、北沢五丁目の通りから一本狭い筋奥の目立たない所にいた。然し、中野は真っすぐにそこにきたのである。
 また、父は中野に対しては、その愛人だった女を助け、然し利用し、その時点でもケシ作りを頼んだりしていたのである。
 正直、父は女を信用していないから、中野はおそらく、その女の事でも許し難いと思っておろうし、また父が中野を調査していた事があることも、知っていて当然と思っていた。
 然し、中野の女だった人物は、父の事は云っていなかったらしい。上原閣下もまた父の動向を中野に話してはいなかったようだ。
 中野は大層快く、父に接近してきた。
 中野の話とは、甘粕の動静と金の元であった。金主がおるか否か。金主がいないなら、バラ蒔く金は何処から出ているか。
 中野の調査では「例の金塊の残りが甘粕に入った」と聞いた、との事。
 父はまた、荒木さんから中野のことを聞いていた。偶然ながら伊豆に招かれた時宇垣さんからも聞いたが、中野正剛は張作霖の子息張ガクリョウ(学良)という人物との間に、政治的約束をした。中野は張ガクリョウから礼金を貰っているのである。
 中野という人物は、力があるといっても、政界で声を大にして告発をしたりする、いわゆる政界をゆするというやりかたを、堂々と出来るというだけの人物である。一人でやる事であるから、そう力量があるというのではないのである。
 一匹狼が内閣の中で、議会で時の総裁でも誰でも構わず、大声で告発すると、名誉を重んじる政治家にとっては、銃を突き付けられたも同じ恐ろしさなのだろう。
 中野はそれがある種の快感となっているのだろう。然しそれを他人に向けてやるのであれば、中野自身がそもそも清流でいないといかんのに、中野は結構金に汚いのである。
 (上原)閣下が死んでからは荒木と密着している事実もあるが、何より田中(義一)が死んでから、中野は宇垣(一成)と示し合わせていること多いのである。
 そういう人物に何の話もできない。然し、中野から甘粕さんの莫大な使途金の事を聞いた。
△甘粕さんが金を思う存分使えるは、間違いなく、例のロシアから巻き上げた残金には違いないが、甘粕さんがそれだけの金を使って、満洲にて何を目的としているか、甘粕さんという人を良く知っていながら、父にはよく呑み込めなかった。(引用終り)

〔解説〕
 実は、「敗戦記」のこの部分を引用(転写)している間に、年来の疑問に対して解答が浮かんだので、忘れないうちにまずそれを述べます。
 疑問とは〔204〕の有料領域の下記の部分です。
 ➂「然し閣下は、石光さんにも見えない所で、田中―宇垣とも組んでいたのだ」。

 これに対する解答とは、上原が例のロマノフ金塊の四分の一を、上原自身と田中義一、宇垣一成、山梨半造で分配したことから推察されます。なお、「敗戦記」は荒木貞夫の名も上げていますが、上原は元帥、田中・宇垣・山梨は中将で、いずれも要職を歴任したのに対して荒木は大佐です。金塊運搬の褒美及び口止め料としてとして、荒木に分け前があっても当然ですが、この時の陸軍首脳間の分配とは別途に上原から分配を受けた、と観るべきものと落合は思います。
 問題は使途です。憲政会寄りの上原は別として、陸軍による政界支配を望む田中・宇垣は、自分らに分配された黄金を使って政友会を買い取った、とみて間違いありません。山梨も一緒でしょう。
 上原と田中・宇垣は表面では喧嘩しながら裏ではハラを合わせ、上原が犬養毅の憲政会を、田中・宇垣が政友会を操縦することで、陸軍による政界支配を図ったのです。
 
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