ワンワールド國體が図った辛亥革命 11/17
〔88〕ワンワールド國體の謀った辛亥革命
五十年前に東大法学部に学籍を置いた白頭狸は、岡義武教授から日本政治外交史の講義を受けた。ほとんどの講義は一、二回しか受けなかったが、生来歴史に対する興味が深い狸は、日本政治外交史と日本法制史の講義には数回出席したのである。
講義の冒頭で岡教授が「イタリアの歴史家ベネデト・クローチェの言によれば、歴史学とは時代区分をすることである」と言われたことが今も耳底に残っている。そこで今朝ベネデト・クローチェ(一八六六~一九五二)の事績を瞥見したところ、今日に残るその名言は「すべての歴史は現代史である」とのこと。なるほど之は名言である。
時代区分として「近代」の定義はいろいろあろうが、白頭狸のみるところ、「近代」の濫觴は一七八〇年頃に世界各地で起った各種の歴史事象である。近代の濫觴と呼ぶべき事象は一箇所でなく各地で起こった。
欧州のフランス革命と北米のアメリカ独立が周知であるが、この二例は既に進行してきた歴史の新しい潮流が具体的な姿を顕わしたのであって、近代の濫觴は当然ながらこれより古く、一六四八年のウエストファリア条約にまで遡ることを説く史家が多いが、他の地域社会でも近代化の濫觴というべき事象が発生していた。
日本では安永七(一七八九)年の閑院宮兼仁親王の光格天皇即位が暗示する欧州王室連合への加盟、支那では乾隆四十七(一七八二)年の文遡閣完成に際する北京宝物の満洲への移動に秘められた満漢分離策が、狸の観るところ、両国における近代の濫觴である。
ウエストファリア条約によって国家主権が誕生した西欧では、一八〇〇年代後半以降、市民革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の進展、ナポレオン戦争による国民国家体制の確立など一連の流れが合流してできたのが、排他的国家主権の「近代国家」が世界を構成するという社会システムである。
すべての人民がそれぞれの地域国家に帰属する国民となり、国民の集合体たる地域主権国家が国際社会を形成する。これが十七世紀央のウエストファリア条約から二十世紀央のWWⅡ終焉ま、三世紀にわたり世界史を規定してきた近代世界の観念であった。
ところが近代世界はWWⅡの終焉とともに新しく登場したグローバリズムによって半壊し、世は現代世界に移行した。
国連体制はWWⅡの名目上の戦勝国すなわち米・英・仏・蘇・華の五国が常任理事国として諸国に優越する体裁を取るも実態が米蘇の二極体制であった理由は、WWⅡの本質が植民地解放にあったからである。
WWⅡの対立軸は、①欧州覇権を巡る英と独・蘇の対立、➁植民地の維持と解放をめぐる英米と日本の対立、③共産主義を巡る日独と蘇の対立の三つがあったが、この他に潜在する対立として、④中華本部における共産党と対立する国民党が、満蒙独立を進める日本を妨害したことで複雑な様相を呈した。
開戦早々独に降伏してその占領下におかれた仏と東南アジアで植民地を守れなかった英は戦勝者とはいえず、実質的戦勝国は米国だけであったが、米軍に敗れた敗戦国日独伊と戦った英仏は名誉戦勝国とされ、ドイツ軍を辛うじて撃退しただけの蘇が、日独伊に対する戦勝国と見做されたのは不自然である。さらに奇妙なるは、支那圏から満蒙の解放を目指す日本と対立したものの本格的戦争に至らなかった中華民国が、米軍の尻馬に乗って対日戦勝国となったことである。
WWⅡの終焉とともに大日本共栄圏の満洲が、中華圏内と認定されて中華人民共和国に編入せられ同じく台湾も「一つの中国」の一部とされたが、民族の歴史を無視したこの暴挙は、戦後社会に重要問題を潜在させることとなり、近未来に国際問題として浮上することが必定となった。
つまりWWⅠの戦後処理に際して本来解決すべき満洲と台湾の帰属問題の筋道を定めず安易に中華圏内としたことが、今後の日華(日中)・日満・満華関係に秘められた重大問題として残存しているのである。
白頭狸は乾隆帝が満漢分離の秘策を建てたと聴くが、証左は乾隆四十六(一七八二)年の文遡閣造立であろう。「四庫全書」の完成を見届けた乾隆帝は書庫を奉天に造立する際、奉天に新設した秘密収蔵庫に清朝歴代の宝物を運ばせて隠匿したのは、将来の満漢分離に備えるためであった。
満漢分離を実現する目的で行われたのが明治二十七(一八九四)年の日清戦役である。その後、明治三十七(一九〇四)年にチャイニーズメイスンと呼ばれる秘密結社洪門天地会の洪棍(元帥)となった孫文が、清朝の最高指導者西太后と秘かに結託して満漢分離を図り、成功したのが大正元(一九一二)年の辛亥革命である。
この時孫文を支援した堀川辰吉郎は、孝明天皇の皇太子ながら皇位を継がず大室寅助に譲った睦仁親王の長男で、ワンワールド國體の天皇となって世界王室連合の総帥に就いていた。
辛亥革命の結果満洲は中華の圏内に留め置かれたが、辛亥革命はワンワールド國體が企画した経略であるから、その終焉後の満洲処理もまたワンワールド國體の意図を受けたものであった。
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