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ここらで一服 12/14

〔105〕ここらで一服
 先月末の東京遊説の疲れが出たか、数日呆然としていた白頭狸が、春日大社国宝展の招待券に恵まれ、加太春日神社事務長で紀州文化振興会理事の井関暢二さんの運転で奈良国立博物館に赴いたのは十二月八日であった。抑々この日は東大豊島寮の同窓会があり予てから楽しみにしていたが、遊説の疲れから欠席したところ、当日になりやや元気が出たので奈良行となったのである。
 その朝、何気なくユーチューブを見たら、林千勝さんが「大東亜戦争の真実61回」というタイトルで石原莞爾について語っていた。林千勝さんの石原莞爾論に感動した白頭狸は、続いて視た「大東亜戦争の真実64回」の林さんの白洲次郎論とそれに関連して述べられた吉田茂論の主旨が、狸が年来唱えてきた「米軍間接占領説」及び本稿で唱える「大東亜戦争の真相論」とほとんど変わる所がないことを知り、まさに驚喜したのである。
 思えば、平成元年の年末に当時落合莞爾を称していた白頭狸が私家本として『平成日本の幕末現象』を出版してから三十三年経ったのだ。
 その著で狸は「日本は在日米軍による間接占領下にあり、これを脱却するには経済力を備えた今がチャンス」と唱えたのであるが、世の容れるところとならず、今ころになってその説の前半が正しいことが、ようやく理解され始めた。
 林千勝さんが自身の史観を会得されたのが何時の頃か知らないが、時期など問題ではない。ともかく、この三十年間、孤軍奮闘で苦しんできた白頭狸は林氏の卓説に接して「有朋自遠方来」の感に打たれ、「不亦楽乎」の想いに浸ったのである。
 『平成日本の幕末現象』が出版されるや、たちまち自分に尾行がついたことなど知る由もない狸が、それを知らされたのは平成七年に知り合った吉薗明子さんからであるが、その二年後に知りあった大阪和尚こと七尾短期大学助教授斎藤敏一郎君は、「センセに尾行がついてますぜ。それも三つや。一つは我々と同じ宗教関係の公安で、もひとつは一般の公安やけど、ほかにも
“変な外資”がセンセをツケてますわ」と教えてくれた。

 平成四年、白頭狸が主催する紀州文化振興会に、所管する支那・朝鮮の古陶磁を市制施行七十年記念特別展に出陳するように、との要請が岸和田市長からあり、代表理事の狸がこれを承諾した。
 そこで平成二年に紀州徳川家から譲り受けた支那・朝鮮の古陶磁を出陳したところ、朝日新聞・テレビ朝日を始め毎日・読売・サンケイの各紙などから贋作詐欺扱いの攻撃を受けた。

 その一部始終を記録した狸が、ほどなく落合莞爾著『ドキュメント真贋』として発表したことで騒ぎは一応収まった。科学鑑定の結果を発表したことでメデイアが撤退したのであるが、紀州文化振興会と紀州徳川、および紀州家伝来の支那・朝鮮の古陶磁が受けた名誉棄損は、その後も恢復されていないのである。
 この無念を晴らさんとする一念に燃える白頭狸に、親友の南宗明君を通じて接近してきたのが斉藤敏一郎くんであった。斉藤君は本願寺の諜報員と自称していたが、嘘でないことを狸が覚ったのは、本願寺の秘蔵文書を収蔵する龍谷大学図書館で斉藤君が調べてきてくれた歴史秘実を検討した結果である。
 一例は国宝の「志賀島金印」が博多黒田藩による偽造であることが「本願寺文書」中の本願寺忍者の報告書に明記されていて、当時の印鑑学の最高権威高芙蓉(大島逸記)が偽造に関っていたこと、及び高芙蓉が口止めを図る黒田忍者に殺害されたこと、などが如実に記録されているとの事である。
 その後の親交を通じて判ったのは、斉藤君が高松宮宣仁殿下または同妃喜久子妃殿下の仕えていた國體奉公衆であることで、ひいては例の紀州徳川古陶磁真贋騒動を仕掛けた者と、その被害に遭った紀州文化振興会を救済せんと考える者の存在が、組織・背景および目的を含めてクリアになった。
 要するに、前者が美術業界・博物館業界を支配するグローバリストの下部機関で有るのに対し、後者がこれに対抗するワンワールド國體の奉公衆で、斎藤敏一郎君は紛れもないその一人であったのだ。
 前者の正体は国際的な産・金・軍(産業・金融および軍閥)の連合で、在日米軍を通じて戦後日本を支配する仕組みを造ったが、その下部機構の文部官僚・言論界が紀州家伝来品を贋作に貶めようと謀ったのである。かれらは三笠宮崇仁親王を盟主に仰ぎ、謀主は大徳寺長老の立花大亀和尚であった。
 後者の正体はワンワールド國體を支える世界王室連合の下部機関として國體基金の管理に当ってきた國體奉公衆で、盟主として高松宮宜仁親王を仰いでいたが、謀主の所在は明確でない。
 ともかく、荊妻に先立たれ、心に空いた穴を埋めたい思いから歴史研究に踏み出したところ、わけのわからぬうちにグローバリストと國體勢力の対立構造に巻き込まれたのが白頭狸である。

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