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令和維新は与野党合体から 10/25

 〔75〕令和維新は与野党合体から
 前項〔74〕では江戸時代の初期から公武合体計画が進められていたことを述べた。
 皇室も将軍家も合意の上であったが、公武合体程の大ごととなるとその進捗は円滑でない。伏見宮家(海外に渡った伏見宮か?)に生まれた吉宗を紀州家に入れたのは貞享元(一六八四)年で、将来の将軍襲職を睨んだものであった。八代将軍に就いた吉宗は享保十(一七二五)年に修学院離宮中之御茶屋で霊元上皇と密談のうえ公武合体を合意したことはごく少数だけが知っていた。
 これが公武合体の嚆矢であるが、皇妹親子内親王の十四代将軍家茂への降嫁は文久二(一八六二)年で、実に一四〇年もかけて実現したのである。これに先立ち安政三(一八五六)年に十三代将軍家定の御台所となった近衛篤君の実家は伏見宮で島津家を装ったというが、いずれにしても数代百余年を経て実現したのである。
 公武すなわち「公家と幕府」の分立は封建時代という「名の代」すなわち武家の世を運営するために対発生した制度であるから、「オホヤケの世」すなわち公議公論の近代社会に移行するには、「公家と幕府」が合体して対消滅しなければならないのである。
 白頭狸の考えでは、歴史の進化法則は紀州藩勘定奉行伊達宗広が「大勢三転考」で喝破したように「カバネの世」から「ツカサの世」さらに「名の世」と進展するが、これは人類社会の構造によって規定された必然的な歴史進化の法則で、封建時代の「名の世」の次は必ず「オホヤケの世」すなわち公議政体が社会を統治するのである。
 これに対して、或いは謂うであろう。「公武合体は政体の変革であって婚儀など個人の行為とは次元が違う」と。
 しかしながら近代にいたるまでどの時代も政体の主役は「カバネ」すなわち豪族、「ツカサ」すなわち官僚貴族、「名」すなわち武士と呼ばれる特定身分が婚姻により結合した結縁集団であるから、婚姻は社会的に重要な意味を有し、ことに公家・武家の最高位が血縁を結ぶことは歴史の根幹にかかわる重大事なのである。
 ちなみに白頭狸がその昔に建てた「四階級交替史観」は、現実社会は宗教・武力・商業・生産のそれぞれ携わる四つの階級により構成され、あたかもカードの💛・♠・♦・♣のごときもので、地位は宗教人が最高で、武人・商人・生産者の順に下がるが、人口はこの順で増大する。
 問題は社会統治において各階級が有する権威と権力である。カバネの代は祭政一致で、祭祀王💛が権威と権力を共に有するが、ツカサの代には権威と権力が分化して権力が♠すなわち軍事貴族に移り、名の代には軍事と荘園経営を兼ねる♠の土豪郷士が封建社会を構成する一方で、荘園を横断的に駆け巡って社会的分業を進める♦すなわち商人が台頭して近代社会を開く。
 商人が♦すなわち貨幣の力で社会的分業を進める過程で産業革命が生じ、♣すなわち生産労働者が都市を形成すると、階級意識が芽生えて公議公論の政体を要求し、近代社会になるのである。
 地球上ほとんどの地域で発生進行する社会変化のベクトルはすべて
右の法則に従っているように見えるので、これを人類社会が本質的に内蔵する法則とみるのが、白頭狸の「四階級交替史観」なのである。
 さてわが江戸時代は、コメを「隠れた本位財」とする金銀複本位制であったことは前述した通りで、コメの銀に対する相対価格は僅かに下がっただけであったが、両者の金に対する相対価格がかなり低下してきたが、これが意味するのは、コメと銀の金本位制下での価格下落である。
 日本社会でコメの生産成果を分け合っていた武士と農民が経済的に窮乏した原因はこれであったが、幕末に至り外国交易が増えると金本位制が顕在化して、もはや社会体制の変革が避けられなくなり、公武合体となったわけである、公武合体こそ社会変化の原因であり、結果でもあって、維新エネルギーの着火点となったことである。
 さて白頭狸が言いたかったのは、横田米軍幕府の幕末を迎えた令和期における維新エネルギーの着火剤のことである。
 それは自民・民主および維新・公明その他諸派に潜在する純真の保守主義者を打って一丸となす真正維新党の結成、すなわち令和の「与野党合体」である。

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