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十一月九日は歴史特異日 10/26

〔77〕十一月九日は歴史特異日
 十三代将軍家定の未亡人天璋院と十四代将軍家茂の御台所和宮の内助を受けた十五代将軍慶喜が「大政奉還の上表」を朝廷に提出したのは慶應三(一八六七)年十一月九日で、幕藩体制はこの日を以て崩壊したのである。
 この十一月九日は、東西を問わず歴史変革の重大事件が起こる日として知られ、「歴史特異日」と呼ばれている。史上で例を捜せば特にドイツに多く、➀一八四八年十月にウイーンで起きた蜂起が鎮圧された反動革命事件、➁一九一八年のWWⅠ終焉に伴うドイツ革命、③一九二三年のヒトラーによるミュンヘン一揆、④一九三八年にユダヤ人を襲った「水晶の夜」事件、⑤一九六七年の大学民主化騒動事件などがあるが、今も記憶に新しいのは一九八九年の「ベルリンの壁崩壊」であろう。
 ドイツ以外にも例があり、➀日本では慶応三年の大政奉還、②フランスでは一七九九年のナポレオンのブリュメールのクーデタがその最たるものであるが、③米国でも二〇一六年の米国大統領選挙でトランプが当選したのが十一月九日であった。
 日中関係では、高碕達之助と廖承志がLT貿易覚書(日中総合貿易に関する覚書)に調印したのが昭和三十七(一九六二)年十一月九日である。
 中共では共産主義の換骨奪胎を図って数度も墜落したものの、その都度復権した鄧小平が天安門事件を処理したのち、完全にインタ対したのが平成元(一九八九)年の十一月九日である。〔因みに、昭和五十五(一九八〇)年に岸信介の特使として訪中した矢次一夫と会見した鄧小平は台湾の総統蒋経国との仲介を依頼している〕。
 歴史上の大事件が発生したのはいずれも歴史上の特異年であるが、特異年だから大事件が発生したのか、大事件が発生したので特異年とされるのか因果関係は鶏と卵のようなものとなるが、ことの本質は既に述べてきた「歴史の構造」に潜むのである。
 となれば特異年の十一月九日前後にコトが起ること必定である。今年すなわち令和四年が特異年であることは、ウクライナ戦争の帰趨と十一月三日に行われる米国大統領選挙の結果を待つまでもなく、欧州諸国で重大な政変が発生していることだけでも、他に説明を要しないのではなかろうか。
 とすれば本日より十四日目の令和四年十一月九日に世界各地で、とくにドイツで起こることを今から注目しておかねばならぬ。

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