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〔53〕旺相死囚休 

〔53〕稽古25 旺相死囚休
 命理学の実践のおける根本問題は、命理学が判断の対象とする命理暦(年・月・日・時)が現行の標準暦と相当ずれていることです。
 この「命理暦」とは、狸がたった今思い付いた造語です。すべての命理書の付録万年暦に必ず掲載されるのが「年の節入」と「月の節入」ですが、この節入を以てそれぞれの境目とする年・月により構成されるのが「命理暦」です。
 日常生活をすべて現行の標準暦に基づいて送るわれわれ現代人が、普段は全く意識することのない命理暦を用いて命運を審察するのが命理学です。
 命理学の理論上、「日」も「時刻」もそれぞれの境目は「年」・「月」と同じく、節入を以てすべきものですが、具体的な命理審察の実行に当っては生時の正確な分秒など調べようもないことが多く、ほとんどの場合は命理学上の生時干支が不正確なままで審命せねばなりません。
 しかも命理暦上の生時が確定されねば命理暦上の生日が確定できない場合も生じます。それが稽古24で挙げたA-1、A―2の例です。
 たいていの命理書が命理暦の範囲を年と月だけに止めているのは、当該書の解説する審命法が、年月に命理暦を適用しながら日時には標準暦を適用する中途半端な方式によるからです。
 このやり方を白頭狸は俗流と呼ぶのは、読者に迎合するため命理学の本筋たる四柱推命学を卑俗化したもの、と観るからですが、純粋理論派の武田先生でさえ現実の壁に阻まれ、純理論(厳密な理)を押し通せなかったこととを稽古24で述べました。
 この命理学の宿痾を、白頭狸は自身の方法で克服しようとしています。それは運命主体の命式を確定してから審命するのではなく、逆に運命主体の来歴を確認してから命理暦上の生日生時を推定するのです。
 つまり演繹法でなく帰納法によるので、その実例が稽古24です。
 命式の確定は取りあえずここ迄として、稽古25からいよいよ「旺相死囚休」に入ります。ここからは有料領域とします。

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