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〔72〕岸田文雄は将軍家定の相似象 10/18

〔72〕令和四年10月18日 時事雑感
 岸田首相は十三代徳川将軍家定の相似象か?

 白頭狸(当時は落合莞爾)が警世を志して『平成日本の幕末現象』の執筆にとりかかったのは平成元年三月のことであった。当時の内閣総理大臣は自由民主党第十二代総裁竹下登であったが六月に辞職し、後を継いだ十三代総裁宇野宗佑が十月の執筆完了時の首相であった。 
 WWⅡで連合軍に敗れた日本は、終戦直後は国連軍(実質は米軍)の占領下に在ったが、昭和二十七年に発効したサンフランシスコ平和条約により独立して自由主義陣営の一国となるが、その後も米軍の駐留は続く。
 昭和三十(一九五五)年には、保守と革新の諸派がそれぞれ統一して自由民主党と日本社会党になり、アングロサクソン流二大政党制の「五十五年体制」が成立した。
 事実を具さに眺めると、この戦後日本は真の独立国に非ず、米軍の軍事保護国として間接占領されたままで、サンフランシスコ講和以後の四十年余を過ごしてきたことは否定すべくもない。
 十三世紀から十五世紀まで二五〇年にわたりロシアを苦しめたかの「タタールの軛」に喩うべき「メリケンの軛」の惨状である。このまま放置すれば、今後数世紀にわたり日本民族の災いになりかねないではないか!
 折から昭和末・平成初にかけて日本列島を覆ったバブル景気で沸き立つ日本をみた白頭狸は今こそ草莽崛起の時宜とみて、之を促す警世の書として『平成日本の幕末現象』を自費出版したのである。
 五十五年体制はアングロサクソン流の二大勢力の交代を「憲政の常道」とするものでなく、実は保守勢力と革新勢力が2対1の比率で、調和を前提に対立する談合政体であるから、政体の主体は常に自由民主党と観るべきで、あたかも江戸幕府のようなものである。
 政体主体たる自民党の総裁は初代鳩山一郎から数えて十三代の宇野宗佑が江戸将軍に喩えれば暗愚で知られた徳川家定に当ることを、歴史相似象とみた白頭狸は、これを以て見ればあと二代で幕末維新に至ると判断したのである。
 現実はご高承の通りで、十四代海部俊樹に続く十五代宮沢喜一を以て自民党幕府は倒壊する。時は平成五(一九九三)年七月の頃であった。
 その後にできたのは非自民八党の連合政体で、自民党政体倒壊後最初の政体であるから形だけは維新政府と言えるが、首相は日本新党の細川護熙で三条実美に喩えて良いであろう。
 その後は自社が談合した「自社さきがけ」政体で、社会党の村山富市が首相となった。喩えるとすれば大隈重信である。
 自民党が単独政権を再建したのは平成八年のことで橋本龍太郎・小淵恵三・森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫・麻生太郎と自民党政体が一三年続くが、平成二十一(二〇〇九)年に民主党が政権を奪取し首相に鳩山由紀夫がなる。その跡を継いだのが菅直人・野田佳彦である。
 平成二十四(二〇一二)年、三年ぶりに民主党から政権を奪取した自民党が建てた政体の首相に安倍晋三が再任するが、令和二(二〇二〇)年に跡を継いだ菅義偉が令和三年に岸田文雄にバトンを渡す。
 形式的維新政府の初代首相は細川護熙で、二代が村山富市・三代橋本龍太郎・四代小渕恵三・五代森喜朗・六代小泉純一郎・七代安倍晋三・八代福田康夫・九代麻生太郎・十代鳩山由紀夫・十一代菅直人・十二代野田佳彦ときて、次は安倍晋三だが再任のため飛ばすと、十三代が岸田文雄となり、徳川家定の相似象が出現したのである。

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