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〔186〕目に見えぬ「非対称戦」こそ本当の戦争 6/12

〔186〕目に見えぬ「非対称戦」こそ本当の戦争
 「非対称戦」の定義は何でしょうか。「対称」は定義できますから其の他をすべて「非対称」とすれば定義は簡単ですが、実質的にはほとんど無意味です。
 まず戦争主体について考えて見ましょう。
 古典的な定義では戦争の主体は国家同士ですが、現代は国家そのものが一枚岩ではないのです。トランプとバイデンの両陣営が国是(国家理念)を巡って伯仲の対立状態にあるアメリカ合衆国には、両陣営に共通する外敵は存在せず、あらゆる対外戦争は同時に内戦の要素を孕んでいることは、ウクライナ戦争に対する両者の方針をみても明らかです。

 正反対の国家理念を掲げたトランプとバイデンの両勢力が伯仲するアメリカでは、十一月の大統領選挙に向けての闘争が今から激化しますから、かなりの暴力行動の発生が予想されます。まるで「南北戦争」の再来ですな。右のような国内対立はほとんどの先進国でも観られますが、その程度は内戦一歩手前のアメリカほどではなく、政権選挙を機にした政権交代で収まりそうです。
日本では国会ないし国政選挙を舞台に、与野党がそれぞれ保守・革新の旗印を掲げて論戦を交わしていますが、何となく迫力がないのは、与野党がともに「同じ穴の狢」だからです。国民が国政選挙に関心があっても投票権を放棄する根本原因はここにあります。
日本では与野党対決が言葉だけで、実質的談合政治を延々と続けている理由は極めて明白で、日本国の実質が「アメリカを宗主国と仰ぐ属領」だからです。
 一般に属領の下級行政は原住民の自治政府により行われますが、政策の最終決定権は宗主国が任命する総督ないし高等弁務官にあります。属領の防衛に当たるのは常時駐留する宗主国の軍ですが、その防衛対象は属領そのものでなく属領から生ずる宗主国の利権ですから、都合によって任意に防衛を放棄して属領から撤退するのが常例です。

日米両国は、相互が実質的に植民地関係にある事実を公式化せず、高等弁務官の代理として「日米合同委員会」を設け、「日米地位協定」に基づき具体的行政に当たっています。
 このような状況にあって、属領が政治的自治を回復せんとするとき、宗主国に対する要望や説得あるいは談合が無力なことは明らかです。
 正面から戦争することができないのは、それができぬように宗主国が予め手を打っているからです。日本国憲法第九条がそれですが、日本政体の防衛省が自衛隊の名目で保有する陸海空軍は、実質的に在日米軍の統制下に置かれていますから、国内有事の場合は、銃口を日本国民に向けることさえあり得ます。

 反日傾向の強い某国が日本に侵攻し、あるいは某国の内乱で発生した難民暴徒が日本に侵入してきた場合にも、在日米軍の指揮により自衛隊の国土防衛行動が阻止されることもあり得ます。
 さらに宗主国アメリカと不和になった隣国が、アメリカの身代わりとしての日本を攻めることもあり得ぬとは言えませんが、その場合「人間の盾」となる国民を自衛隊が守れるかどうかも、在日米軍の判断次第です。
 ポストWWⅡ時代の当初は、事実上の一極支配で世界の警察を自負するアメリカの存在そのものが世界の安全を保障していました。その後昭和四十六(1971)年からペテロダラー期に入りますが、それまで見掛け上の好敵手だったソ連が実質的にアメリカの軍門に下ったことでアメリカの軍権支配はなおも続きました。

 ところが平成七(1995)年から中国が台頭します。その主たる原因は、このnote で繰り返し述べたように、日本の中国に対する金融的、財政的、技術的支援と市場開放が根本的要因を成すうえに、人民元をドルにペッグしたことで中国がアメリカの通貨属領になった事です。
 平成二十二(2010)年の中国のGDPが日本を追い越してアメリカに次ぐ世界二位になった時に国際政治の様相が変わりました。中国の日本蔑視とアメリカに対する対抗心がにわかに沸き起こったのです。中華思想の然らしむるところと申して良いでしょう。
 その後の経過はここで言うまでもありませんが、この米・中および日本の国際政治における新たな位相により、「アメリカの存在そのものが日本にもたらす平和」が、名実ともに雲散霧消してしまい、今日の日本は国民たるものが決して座視しておられる状況ではないのです。

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