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〔144〕満洲問題の本質は地政学

 二十世紀日本の命運を決定的に左右したのは「満洲問題」です。
 日本・露西亜・支那三国の緩衝地帯として地政学的に絶対的な意味がある上に天然資源が豊富な満洲は、ここに発祥した満洲族がシナ本土(チャイナ・プロパー)に侵入し、後には逆に漢族がシナ本土から満洲に流入したことで「今日の満洲問題」の原因をなしました。
 「今日の満洲問題」とは「次の二つの要因からなる「満洲族の溶解」です。要因の第一は、十七世紀に山海関を越えてシナ本土(チャイナプロパー)に侵入し住民の漢族を征服し満洲族が自族発祥の故地満洲をシナ本土と併合したこと。第二は清朝末期に多数の漢族がシナ本土から満洲に流入したことで、この二つが螺旋構造を成して今日の満洲問題を成しているのです。
 これを巨視的に見ると、人口密度の高いシナ本土の漢族が、「浸透圧の原理」により密度の低い満洲へ浸透したことになります。
 しかもシナ本土で、征服者として「満洲八旗」の貴族階級となった満州族は、「満漢分離」を唱えた孫文の辛亥革命が成功した後もシナ本土に留まったため貴族身分を失い、圧倒的多数の漢族の中に溶解してしまったのです。

 一方満洲では、辛亥革命の直前に難民として大量に流入した漢族が「満漢分離」を標榜した革命の成功後も、満洲からの強制的退去を迫られす居ついてしまったため、比較的少数の満洲族がシナ本土と同じく漢族の中に呑みこまれ、溶解されてしまいました。
 漢族の間では、孫文の革命を「満族の支配から漢族を解放したばかりか満族固有の土地を人民ごと支配下に持ち込んだ」もので「大成功」と評価するのが一般的ですが、そもそも革命の根本目的として孫文が掲げたのが「満漢分離」ですから、孫文としては失敗の筈です。
 愛新覚羅氏と堀川辰吉郎の談合により、ちワンワールド國體から満洲の暫定的統治を託された張作霖が、独自の覇権意識を募らせ、中国国民党のみならず米国にも靡く後背常ならぬ様子に、死を前にした孫文が「革命未だならず」と遺言します。
 落合思うに、これは「満洲のシナ本土への吸収」を予見したもので、孫文の悲願の「民族主義」すなわち「満漢分離」を達成できなかったことを嘆いたものとみるべきであります。
 孫文の慨嘆とは裏腹に「満洲の吸収」による結果的利益を享受することとなった中華人民共和国が、辛亥革命が大成功だったように振舞うのは、「満洲住民の大多数が漢族」という人口的現象を背景にしたものですから、漢族中に埋没してしまった満洲族がそれを納得するのならば、他国は容喙できない筋合でしょうが、ここで見落としてはならない重大な問題があります。

 それは日・露・中(支)の三大国の緩衝地帯としての満洲が本質的に抱く地政学的問題です。

満州民族


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