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〔145〕FM・メソジスト・ユニテリアン 12/17に 表現を改め、内容を多少追加しました。

〔145〕フリーメイスン・メソジスト・ユニテリアンの関係
   前回つまり〔144〕の末尾で、落合が「➀正統派とも呼ばれることもあるメソジスト教会と、反正統派をモットーとするユニテリアンが、実は同根のように思われてならない」ことを述べ、ついで「②宗教は人間にとって絶対に必要ではあるが、とくにキリスト教でなくても良い」と唱える多神教のフリーメイスンが、基督教のユニテリアンと間接的に繋がる」と感じることを述べた落合は、その後に「過ちとの指摘を覚悟しながら、、、」と付け加えました。
 これは、神仏混淆の多神教世界で育った落合が、一神教の教理も一神教徒の心裡も十分に理解していないからですが、あれ以後もこの問題に関連する思考を進めましたので、その結果をこの「145」で発表します。

 そもそもこの問題は、落合が最近知り合った華頂博一氏が祖父の華頂博信侯爵および曽祖父伏見宮博恭王に関して、おおよそ次のように語るのに興味を抱き、検証を試みたことが発端です。なお、文中の表現は華頂さんの録画での言葉で、落合が覚えているままを再現したものです。
 華頂氏口伝 (ユーチューブ録画から)

 ➀博恭王は「原始キリスト教=ユダヤ教」のネストリウス派(景教)の信徒であった。
 ②満洲でただ一つの「景教寺院」が奉天にあり、その「ラビ」の娘が博恭王の側室になり博信侯爵を産んだ。
 ➂博信侯爵の妻は{『旧華族家系体系』には「早川又市長女壽美子」とあるが}米国名早川ルースで、その正体はハワイ王国のカメハメハ大王の子孫である。
 ④右の二人の間に生まれた華頂博裕氏の子が博一氏である。
 
 御覧のように真っ先に飛び出したのが「原始キリスト教=景教」です。原始キリスト教を巡っては古来多くの定義があるようですが、本稿は学問的な追究をせず、多神教徒から見た鳥瞰図としてザックリといきます。また、景教を「=原始キリスト教」とされたことについても後述します。
 キリスト教の始祖として巷説が指すのは、西暦66年にローマとイスラエルが戦った「第一次猶太戦争」の頃に生存していたパウロです。
 それまではユダヤ教の一分派であった「イエス信仰集団」が、パウロとペテロの頃にユダヤ教と袂を分かち「キリスト教」となります。
 ユダヤ教とキリスト教を決定的に分つものは「三位一体の観念」(トリニテイ)です。
トリニテイ」に関しては、キリスト教の内部でも複雑難解な神学論争がありますが、無学な落合は敢えて無視することにし、造物主(天帝)、半神半人(救世主キリスト)、万霊(アニミズム)の三種の神格に対する信仰の混淆体がトリニテイであろう、と勝手に解釈しております。
 キリスト教の内部では「三位一体説」を奉ずるものを「正統」とし、これに反する者を「異端」とします。これ、原始キリスト教の教義を総浚えした西暦352年の「ニケイア宗教会議」において、「三位一体説」を「正統」とし、これにに反する主張をを「異端」としたことに始まります。
 このとき異端とされたことで知られるのが、二元論の「グノーシス派」です。その後コンスタンチノープル総主教ネストリウス(381~451?)が唱えた教説は、三位一体説に立ちながら、「キリストの“位格”は神格と人格に分かれていたが、“受肉”によって統合された」とするものです。ネストリウス総主教はこの立場から、キリストを産んだマリアを「神の母」(テオトコス)と呼ぶことを拒否し、人性キリストの母として「キリストの母」(クリストトコス)と呼びました。三位一体説のなかの異端ですね。

 431年の「エフェソスの宗教会議」で、このネストリウスの教えが異端とされた結果、信者の多くがササン朝ペルシャに亡命して「東方教会」の一角を成します。その一派が唐朝シナに入り立てた教会が「景教」と呼ばれ、「祆教=ゾロアスター教」および「明教=マニ教」とともに「三夷教」の一角を成しますが、やがて政体から圧迫され、後裔は現代シナではほとんど消滅し、アッシリア教会として西域の一部で僅かに生存しているようです。
 近代に欧米社会で勃興した「ユニテリアン」「エホバの証人」「モルモン教」のほか、朝鮮半島に発祥した「統一教会」が「三位一体説」を否定しておこと明らかに異端をなしますが、これら異端の多くは本質的に「猶太教と基督教の中間的性格」のもので、かつて宗教会議で排斥された結果、欧州世界で正統キリスト教の裏を流れる伏流となっていたが、近代を待って再び出現したと思われます。
 右の知見を前提として華頂氏の謂われる伏見家伝を吟味するに、伏見宮博恭王の信仰とされる「原始キリスト教」ないし「景教」、あるいは「ユダヤ教」なるものは、「三位一体説に染まる以前の、オリエント一神教を継ぐキリスト教」と観るべきではないか?
 現代のキリスト教世界を構成するのは、➀三位一体説を奉持する正統派キリストと、②異端とされるキリスト教系新興宗教で、古の「景教」は「アッシリア教会」などに僅かに生き残っているそうです。
 このような一般世間の状況のもとで、華頂さんが言われた「満洲でただ一つのユダヤ教会に景教のラビがいて、、、」の解釈に悩んだ落合が、ふと思ったのは「メソジスト教会」のことです。
 まことに勝手な解釈ですが、華頂さんの謂われる「景教」とは、実は「メソジスト派」のことではないか? だとすれば、「ラビ」とは具体的に〔ポンピドー牧師〕のことではないのか?

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