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妄想がストック経済を破壊 9/10


〔51〕ストック経済を壊滅させた誤った神話
 ベトナム戦争後、登場した民主党のジミー・カーター政権が、双子の赤字を抱えて苦しむアメリカ経済を収拾できなかったのは、経済政策にデマンドサイド(需要重視)を採用して緊縮財政に傾いたからである。
 カーターに替り昭和五十六(一九八一)年に登場した共和党のレーガン大統領はパラダイム・シフトを唱え、サプライサイド(供給重視)の経済政策を採用して、まず減税から始め規制緩和で国民のインセンテイブを高めた。
 これによりアメリカ経済は奇跡的な成長を達成し、世界各国はこれを真似て減税と規制緩和に走った。その一つが日本である。
 行き過ぎたドル高が世界経済を破壊するのを防ぐための円高ドル安工作を定めたのが「プラザ合意」であったが、その実行を託された日本は、折しもストック経済に移行する時機を迎えていたことと重なり、金融緩和と低金利により移行を達成したが、平成初年の金融・行政エリ―トらの判断ミスが招いた「平成の大停滞」によってその成果をすっかり失い、一人当たりのGDPが世界第二位から、今や二十六位にまで転落したのである。
 こうなった理由としてまず挙げられるのが、日銀総裁三重野康による公定歩合の引き上げである。平成元年末の総裁就任直後から五回に亘り2・5%から6%にあげた強烈なものであったが、実際の効き目は平成二年三月二十七日に大蔵省銀行局長土田正顕(蔵相橋本龍太郎)が発した通達「不動産融資総量規制」のほうが大きかったと言われるのは、この通達に基づく「貸し剥がし」と「貸し渋り」が全国一斉に実施されたからである。
 これにより銀行から締め出された不動産業者は、当初は融資規制を免れた住専(住宅融資専門会社)や農協に殺到したが、地価の下落はさらに進み、担保資産の減価や開発計画の挫折をもたらしたことで、後日の不良債権が発生したのである。
 つまりバブル景気の崩壊は自然現象でなく、明らかに日銀・大蔵省の失政が原因であるが、拙著『平成大暴落の真相』が借用した宮尾尊弘教授の分析によると、この大失政をもたらした政策誤判断の原因は、「インフレ恐怖症」と「直接金融の軽視」と「成長神話の過信」ということである。
 第一の「インフレ恐怖症」は、田中内閣の時に円高防止と列島改造のために日銀(佐々木総裁)が低金利策を取っていたところ、オイルショックに遭遇して狂乱物価を招いた悪夢が忘れられなくて生じたものであるが、当時はフロー経済の時代で、家計の余ったカネが生活物資を追いかけて物資インフレとなったが、もはやストック経済となり貨幣供給が増えても大口預金はそのまま安座するか、他の資産に向かうから物資インフレの起る心配はなかったのである。つまり杞憂に過ぎなかった。
 第二の「直接金融の軽視」は、企業金融の流れが銀行貸付けから証券発行に移行しつつある現実を直視せず、金融引締めが株式市場を毀損することが企業経営に重大な影響を与えることを軽視したことである。つまり経済観が銀行に偏り過ぎていたのである。
 第三の「成長神話の過信」は、株価と地価は金利に関わらずいつまでも上がる」という「バブル神話」を打ち砕くために金融規制の行政権力を発揮した大蔵・日銀は、一方で「日本経済の成長率はどんなに引き締めても落ちない」との「成長神話」を奉じていたのである。経済は生き物であるから、餌や生育環境次第で活殺さえ左右される。このことが判らないでは神話というより妄想である。
 まさに「角を矯めて牛を殺す」諺の通りで、当時は最若年層がようやく四十代半ばに差し掛かった「プレ団塊世代」が、父兄先輩らとともに孜々として築いてきたストック経済を、数人の金融・行政エリートが浅墓にも破却したのである。

 これまさに日米太平洋戦争以来の敗戦というよりないが、原爆が敵国から落とされたのと異なり、実に国内に原因があったのである。嗚呼。

 

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