思い出のラベル剥がし
電車が好きだ。マニアックに愛してはいないが、電車は最も調和の取れた乗り物だと思う。途上国の山盛りの人たちを乗せて走る列車は、調和とは程遠いが、一般的にはほぼ安全に人も家畜も荷物も運べるし、その姿も美しい。
私の子どもの頃の電車、いや、蒸気機関車体験は、まだまだ「調和」とは程遠かった。トンネルのたびに、あわてて窓を閉めなければ、そこら中ススだらけになる。山の多い路線を走るとき、乗客は窓を下ろす、上げるの作業で結構忙しかった。それに、喫煙者が必ずいたので、衣服や髪の毛にタバコの臭いがつくのは不快だった。
長距離になると車内販売で、瓶入りのミルクコーヒー(レシチン入りでコクがあった)と冷凍ミカン、ゆで玉子、お茶にお弁当が買えた。初めてミルクコーヒーを買ってもらったのは5、6歳の頃だ。甘くて汽車の思い出がススやタバコ臭、トイレ臭を凌駕し、圧倒的に好ましいものになっているのは、あの甘さのおかげだろう。
私は東北の生まれ育ちなので、同年代の都会育ちの友達が蒸気機関車に乗ったことがないと知った時は不思議な気分だった。田舎育ちだという若干の恥ずかしさと、子ども時代の空気感を友達と共有できない寂しさと、蒸気機関車に乗る醍醐味を知っているという、うっすらとした優越感の入り混じった、名付け難い複雑な気分だった。
子どもの頃や若い頃の思い出は語彙が少ないため、「楽しかった」「怖かった」と大きなラベルしか貼れないことが多いが、歳を重ねてラベルを剥がすと、案外色々な気持ちが見えてくることもあるようだ。
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