「生き金」と「死に金」:目に見えないものに投資する

 お金の使い道は古くからある人間の重要なテーマです。美味しい食事に使ったり、流行りの洋服を買ったり、あるいは住宅ローンの頭金にしたり。はたまた、株式や投資信託に“投資”してみたり。
 私は、美輪明宏さんの人生訓が好きで、氏の著作を愛読しています。その美輪さんが、お金について語った文章があります。

「お金は“目に見えないもの”に使いましょう。洋服やアクセサリーなど、形あるものは、すぐに流行おくれになり、その価値を失ってしまいます。ところが技術や教養、経験や知識は、目には見えませんが、あなた自身を豊かにしてくれます。」

 普通、私たちは、形あるものの方が信頼できるので、それを買うために、お金を使いますね。この点について、NHK大河ドラマ『龍馬伝』に面白いシーンがありました。

「わしら勝塾はその金を必ずや生き金にしてみせますき。死に金は物と引き換えに支払うだけの金。けんど生き金は使うた以上のもんが、何倍にも何十倍にもなって返ってくる金!」

このセリフは、坂本龍馬が勝海舟のもとで学んでいたとき、勝から松平春嶽に勝塾の運営費を負担してもらうよう、依頼されたときのセリフです。この考え方によると、龍馬の言う「死に金」とは物品購入に充てるだけのお金、「生き金」とは“人”に対する投資、と言えるでしょうか。投資といっても、現在のような借用書や契約書を介さない投資であり、またリターンとしても、お金として返ってくる性質のものではないのです。

この「生き金」と「死に金」という言葉は、『龍馬伝』のなかで、もう1シーン出て来ます。初めて、龍馬が楢崎龍と出会ったときのことです。お龍が、借金のかたに妹をやくざ者に連れ去られ、万策尽きて途方に暮れていたとき、偶然居合わせた龍馬が、乙女姉から送ってもらった5両をお龍に渡すシーンです。

「大口を叩いて土佐を飛び出したけんどまだ何ちゃあ成し遂げちょらん。えい年をしてまだ親兄弟に助けてもろうちゅう。まっこと情けないがぜよ。この金はわしには使えん。おまんが使うてくれ。この金で妹を取り戻して、これを生き金にしてくれや。」

このセリフの前段に、5両を手渡されたお龍は、何かを察したかのように、
「うちを買おうっていうわけ」
と言います。しかし龍馬はそんなつもりはないと言います。もし、ここで、龍馬がお龍の弱みに付け込んで、「買って」いたら、その5両は「死に金」になっていたでしょう。けれど、志士である龍馬はそんなことはしなかった。だからその5両は「生き金」として機能したのです。じっさい、のちに寺田屋で伏見奉行所の役人に襲われたとき、お龍のはたらきによって、龍馬は一命をとりとめ、やがて二人は夫婦となります。

目に見えないもの、形のないものに、お金を使うには、自分自身が目に見えないものを見れる心眼のようなものが必要です。しかし、現代の私たちは、目に見えるもの、形あるものしか見れなくなった感があります。

最後に、美輪明宏さんの言葉を紹介したいと思います。

「目に見えるものは見なさんな。目に見えないものを見なさい。」

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