金銭的報酬と社会的報酬:利他的行動の起源
脳科学者・中野信子は、著書『脳内麻薬・人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』のなかで、我々人間には、ドーパミン報酬系の快楽として、大きく分けて3種類があると述べている。1つは、食べ物や性行為といった「生理的報酬」、もう1つはお金を得るという「金銭的報酬」、そして、もしかしたら人間だけが持つ3つ目の報酬が「社会的報酬」である。
「社会的報酬」とは、具体的には、「承認」「評価」「信用」「信頼」「尊敬」、「友人関係」「知名度の向上」等である。これらの、言わば「非物質的な無形の報酬」が、他の2つの快楽と同じの脳の部位で快楽として作用している、と中野氏は言う。
氏はさらに、この「社会的報酬」が何故、人間の脳に備わったかを考察し、次のように述べている。
「例えば、金銭的報酬を生まず、社会的報酬を生むと考えられるものに、寄付や慈善事業などの利他的行動があります。利他的行動はヒトだけでなく多くの生物に見られます。利他的行動で快感を覚える、このシステムは、どんな必要性があって進化してきたのでしょうか。(中略)一つには、ヒトが単独行動で生き残ってきた生物種ではなく、群れをつくり、社会性を持つことで生き延びてきた種であるというところに原因があると考えてよいでしょう。
一見生存に不利であるような行動(他人の子を育てる、群れの見張り役をして敵が来たときに警戒音を出す)は、個体レベルでの生存よりも、種のDNAを残すことに重きが置かれたために、利他的行動に快感を覚える機能が脳に備わったのだ、と考えられています。」
社会性昆虫であるミツバチやシロアリでは、各個体は、あたかも群れという「個体」の一部分として機能している。ミツバチでは、女王バチが出す女王物質というフェロモンによって、他のメスの卵巣の成熟が抑制される、という器質的変化さえ伴う。
戦前までの日本社会を見ると、あたかも社会性昆虫の生態を彷彿とさせる。つまり、生物個体よりも生物種の生存が優先されていたのだ。そのために、先の大戦において、多大な惨禍を生んだと言える。
しかしながら、黒船来航から敗戦までの日本の歴史は、その地理的隔離のために築いてきた高度な社会性が薄らいでいく過程でもあった。
明治維新までは、金銭的報酬<社会的報酬、という確固たる図式が成り立っていた。金銭的報酬が象徴するのは、個体であり【私】であり、社会的報酬が象徴するのは、種であり【公】である。あるいは、個人と社会と言い換えてもいい。
明治維新後、この図式が徐々に揺らぎ始めた。が、1945年の敗戦までは、この不等号が反転することはなかった。そして現在、戦後80年弱が経過して、金銭的報酬>社会的報酬という図式に、不等号が反転した。結果として、個人はあくまで個人であり、金銭的報酬を重視する傾向が強まったのである。それは同時に、公意識の低下でもあった。
しかし、中野信子氏は言う。
「一説によれば、性的な快楽よりも、社会的報酬による快感のほうがずっと上だとも言われています。」
昨今、SNSの普及により、社会的報酬の価値が見直されつつあると、私は見ている。けれども、戦後に急速に進展した拝金主義が緩和されるまでには、これから数十年の時間を要するだろう。
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