池田晶子名文集

「精神または心と言ってもいいですが、心の喜びということを、我々はいつも忘れがちですね。若さや美貌や、もしくはお金があっても、心が不幸ならその人は不幸だという当たり前からわかるように、我々の幸福は、やはり心の幸福に尽きるんですよ。心さえ幸福なら、若さも美貌もお金も、極論すれば、何にもなくったって幸福なんですよ。だって、何がなくても自分は幸福だと思っている人が、どうして不幸であり得ますかね。
(中略)
 そのような外的幸福に対するところの内的幸福というのは、なんというか、もっと微妙なものなんですね。たとえば私も最近は、シワや白髪が目立つし、体の元気もなくなるしで、つくづくと年齢を感じます。だけど、このこと自体、ちっとも苦痛じゃないんですよ。アンチエイジで同年輩の女性たちが盛り上がっているのも知っていますが、そういうのは逆に、大変だなあ、そういう感じで見えています。どこまでやるつもりなんだろう、どこで諦められるんだろう。ちょっと気の毒な気もする。
 彼女たちは、幸福の基準を他に知らずに生きてしまったのだ。若さつまり容貌がすべての人生だから、これを失うことは全人生を失うことに等しいんですね。これはまったく大変な人生だろうと思います。でもねえ、人生の本当の面白さって、そんなところにはないのですよ。
 私が年をとることを、おいしい、面白いと感じるのは、自分の心がいよいよ深く豊かになってゆくのをはっきりと自覚するからです。ああ、こんな感覚、こんな考えは、若い頃に知らなかった。こんなにも深く、あの考えが成長した、こういう内なる成熟を、日々観察し味わいつつ暮らすことである老いるということは、私にとって非常な喜びでありまして、神は(自然は)我々の晩年にかくも素晴らしいごほうびを用意してくれていたのか、そういう感謝めいた気持にすらなるものです。(後略)」
(池田晶子『アンチエイジだなんて』『暮らしの哲学』所収)

「なるほど現代社会では、お金で買えないものなんか何もないみたいだ。豪華な家、豪華な服、豪華な旅行、お金があれば好きなだけ買えるし、お金があれば、人にもちやほやされて、寂しい思いをすることもない。だから、お金がすべて、お金さえあれば幸福なのだと、多くの人が思っている。
 だけど、これは間違いだ。豪華な家に住み、豪華な服を着ている人が幸福かというと、必ずしもそうではない。そういう人の心は、実はとても不幸で、満たされていないことがほとんどだ。(略)
 幸福というのを、お金に代表される、職業、生活、暮らしぶり、外から見てわかる形のことだと思うことで、人は間違える。どんな職業、どんな生活、どんな暮らしをしていても、その人の心が幸福でないなら、そんなものは幸福ではないということに気がつかないんだ。でも、幸福であるとは、心が幸福であるということ以外ではあり得ない。人がうらやむような生活をしていても、その人の心が幸福であるとは限らない。逆に、心さえ幸福なら、人から見ていかに不幸に見える生活をしていても、その人は幸福だ。(後略)」
(池田晶子『幸福』『14歳の君へ』所収)

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