オヤジへの進化

誰しも、一人称が変化する瞬間がある。


だいたい小学生の時に、周りの一人称が僕から俺になっていく。気づいたら昨日まで僕だった奴が今日からは俺を使ってて、さも普通のような顔をしてる。当時ほとんど周りが俺になっていたころ、なんとなーく自分もとあるタイミングで俺、と言ったら、当時小学校でボス的存在だったしんちゃんに

「しもが俺って言ってんのなんか似合わんなぁ。」と言われた。

仲はよかったが、その言葉でしゅんとなってしまい、それがトラウマのようなものとなって、僕は今でも俺の方が違和感がない時以外は基本的に一人称が僕である。たまに育ちがいいとか言われるが、そんなんではなく勇気が出切らなかっただけである。

そんな僕なので、父親のことをオヤジと呼べない。たまに同世代でも親の話をしても、親父お袋と言うやつがいるが、そいつらは本当に親父お袋を目の前にしてもそう呼べているのか。それならすごい。

僕は、未だに父さんと母さん、というわけでもない。親父お袋へのステップの前のワンクッション、父上母上という段階を踏んでいる。おそらく普通は踏まないワンクッションだが、電話帳にもそう登録してある。人と話す時冗談みたいなテンションで父上が、というが、別にボケてるわけでも気を衒ってるわけでもなく、父さんというのはどことなく幼い、かといって親父というには気恥ずかしい、そんな気持ちが僕を父上と呼ばせる。全国の同世代は、両親のことを何て呼んでいて、どういうタイミングで変えたのだろう。

いつか僕にも、親父お袋と何食わぬ顔で呼べる日が来るのか、来てもいいけど、来なくてもいいな、別に。元気でいてくれれば。そう思いながら、入院費の援助に感謝しつつ眠る。

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