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川の話

通勤路には幾つかの川がある。
栗の木が群生している河原には、ガガイモや葛、葦もここぞとばかりに広がっており、夏には水面が隠れてしまうほど背を伸ばしていた。

時折、ばしゃばしゃと水が跳ねる音が聞こえたかと思うと、頭上を鴨が鳴きながら飛んでいく。


私の地元である田舎の駅の近くには、人の手が入った川がある。
昔は、葦やニセアカシアの木、蔦類や水仙、菖蒲などが生えていたり大小の岩がごろごろと鎮座しており、時期によって花や緑を楽しめていた。冬には雪化粧をし、枝から垂れる雪の葉や氷の間から覗く澄んだ流れや底石達を見れた。また、季節に関係無くやってくる白鷺を観察するのも楽しかった。



数年前、大量の雨により氾濫した川が活動区域内の至る所で溢れていた。
仕事中に車で移動するも、会社の近くの道路はざぶざぶと膝丈まで水が上がってきており、初めて体験する洪水に危機感を持ちながらも、少なからず高揚した。
次の日は会社の意向で休みとなり、くれぐれも様子を見に来たりしないようにと釘を刺されたので、言う通りに会社の近くには行かなかった。

近くの川は、20cmも水位が上がれば溢れていただろう。濁流と化していて水は茶色く、木や草などを巻き込みながらも速さは衰えず、下流へと運んでいた。


時季が来ると、辺りいっぱいが甘い香りで包まれるニセアカシアの群生地にも川がある。その下を流れる川は浅く穏やかで、近くには畑や田んぼもある。
こちらの川も、洪水が起きていた時にはいつもと顔を変えていた。家の近くの川程は水位は上がっていなかったが、穏やかさは消えていた。

この時の洪水により、護岸工事をされた川や、土嚢を用意するようになった場所が沢山ある。

家の近くの川も、生えていた木や植物が減らされ、深みも無くなり、流れを分散させるためか大きな岩が意図的に置かれるようになった。


以前のように自然な風貌ではなくなってしまったし、鳥の数も減ってしまった。


それでも、私は川を見る。



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