「部屋の乱れは心の乱れ

 部屋が乱れてた。洗濯物がそのままで、お皿も洗ってなくて、使ったものがそのまま。玄関周りも靴が出しっぱなし。で、なんだか嫌になって片付けた。その時に考えた。心乱れてるのは確かだけど、部屋と心の因果関係は?と。

 いつも部屋が汚い人はいる。私の姉とか。友達にもいる。私は綺麗にしたい方。だから、「そんなに部屋汚くて嫌にならんの?」とよく聞く。けど、部屋が汚い人は口を揃えて、「いや、別に?気にならん」と答える。彼らにとって部屋が汚いことは、マイナスなことでもプラスなことでもなくて、それが普通、というかそも論点にさえあがらない。つまり、彼らにとって「部屋の乱れは心の乱れ」はなんら因果関係はないと考えられる。

 では、部屋が綺麗なひと、もしくは綺麗にしておきたい人の部屋が、汚い場合はどうか。この場合、普段できていることができなくなっている状態、また、目指したい状況(綺麗な部屋)に達していない状態であると言える。この要因として挙げられるのは、例えば忙しさであったり、生活の乱れ等である。したがって、部屋の乱れと心の乱れになんらかの関係があると言える。

 ここで大事なのが、部屋と心の関係が、全員に当てはまるわけではないということ。本質は、

「本来であれば日々やっていたこと、やりたかったことが、なんらかの要因(多忙)によりできなくなっている状態。また、それにより、ますますストレスがたまり、負の連鎖が引き起こされている状態」

である。結局は、自分のスタイルが崩れてるから、1回立て直そう。という意味合いが込められている。

 と同時に、部屋が汚い子供に親が、この言葉をただ使って片付けさせようとしても、片付かないことの方が多い気がした。なぜなら姉がそうだったから。ただ、今思ったのだが、常日頃から部屋が汚い人にとっては「日々やっていたこと」があまりないのではないか。もしないのであれば、自分のストレスが溜まっている状況や、生活スタイルが崩れている状況に気づくことさえできないのではないか。また、「日々やっていたこと」が「部屋の整頓」のように目に見えてわかるものであれば、できていないことに気づくが、目に見えにくいことだと、やはり気づきにくいのでは。だから、最も認識しやすいものの例として「部屋の整頓」が挙げられてるのかな。とか。

 とここまで書いて、案外まだ大したこと書いていないなーと思ったり、部屋が汚くてもどうにかなってる人とかすごい人いるしなぁとか思ったりしながら、部屋を片付けた。

【メモ】
・なぜ同じ家で育ったのに私と姉でこんなに部屋の片付き具合に差があるのか
・「部屋を片付けていたい」の本質は?

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