サブカルが距離感を見つめ出したら、異世界転生でハーレム出来るのかも。

龍が如くが売れてるらしいけど、サブカルエンタメに

皆んなどちらかといえば、自分の居る場所から歩き出して行ける世界にフィクションを求めだしてる。

そんな気がする昨今です。

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昭和は兎に角、バトル!

町の不良やらガキ大将に番長なんてのから、ちょいとぶっ飛んだ世界観で学ラン着たにぃちゃんが勝ち進んでいくのまで、ホントに戦ってばっか。

北斗の拳みたいな当時の拳法•カンフーブームに乗っかってみたり、聖闘士になって理屈を超えたり。

平成からご近所や町内に学園なんかが舞台の日常系が、メインコンテンツにシフトしていった気がする。

お年を召した方がクレーマーになって、よく周りの視線を一身に集めて演説してるのを見ると、世代なんかなあ?と思う。

ちょっとはみ出した型破りで喧嘩が強い!
そんな主人公が皆んなが口に出来ない事を叫ぶ!
そして腕っぷしの強さで周りの心を掴んでいく。
シャツに血が滲んだりしたりを、カッコいいのマークにしてた世代は確かにあった。

きっとこういう方は青春時代のヒーローに自分がなったような気分なのかもしれないね。

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さて、それが昭和の主人公像なら、いい歳して恥ずかしいなあと見ているのは平成•令和の主役たちの目線なのかもしれないよね。

腕力よりも頭の良さ。
クレバーな奴が華麗にキメる!
それが最近の流行りな気がするなあ。

根性論より知識に基づいた優良な作戦が、主人公サイドを勝利に導く様なさ。

それぞれの強みをどう使うか?
無駄に消耗するより的確に攻め残る。
正しいよねー!

平成や令和はこの要素を活かす為にも昭和のような喧嘩の延長線上にあるバトルよりも、様々なスポーツや日常生活に起こり得る問題なんかに変化したのかもしれないよね。

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じゃあ昭和にあった様なバトルのカタルシスが無くなったのかといえば、そうでもないじゃない?

バトルロワイヤルみたいな世界観は流行りみたいだし、喧嘩の延長に無い分、どちらかには死が訪れたりするジャンルになってんじゃないかな。

キャラクターにどんな背景があろうと、負ければ消える作品が多い気がするなあ。

喧嘩ってのは昭和の漫画やアニメにとっては、死なない為の舞台装置でもあったんじゃないかな?

てことはさ、今のメインストリームにいる若者が争いを好まないのも分かるよね。

喧嘩であろうと人は死ぬ。
それが今の作品の基本にあるなら、とりあえず拳で語る気にはならない。

現代のサブカルエンタメはそういう部分では正しい幼少期の認識を育てているのじゃないかな。

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サブカルやエンタメがブームになるには、一般の所謂オタクでは無い人たちの支持が必要。

アニメ見ない人もガンダムやエヴァの名前は知ってる。

バーチャファイターや鉄拳もサラリーマンの方が熱心にプレイしていた。

3D格闘ゲームになってからは、それまで家でコソっとやってました!なんて女性が増えた。
当時の僕の周りでは、ポリゴン格闘は時代の流行りだから恥ずかしくないと聞かされたもんだ。

これはPSの普及が後押ししてたと思う。
そういう意味でもサブカルエンタメが一般層に普及し認知される機会に恵まれた時代だったなあ。

じゃあ、、所謂拗らせたオタク層は何処に行くのか?
リアルな世界に背を向けたい層の没入先は無くなったのか?

いやいや!そんな事は無い。
僕の周りはRPGにその願望を走らせる人が多かった。
ヒロインの名前を密かに好きなクラスメイトの名前にしたりさ。

没入する。
探求する。
自分の世界を極める。

そんな想いを直向きにそそいだプレイヤーたちは、その自分が主人公として生きてよい!と言われた世界の全てを知ろうとしていたよ。純粋にね。

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バーチャファイターから離れたのは、当初の流派を極めた格闘家のせめぎ合いより、ストリートの喧嘩のイメージが強くなったから。

僕のバーチャファイターは3tbで終わってる。

バーチャファイター4、、そして5。
ここでプレイヤー層が明確に変わった。

バーチャは一般層がメインプレイヤーだったが、これがマニアックなオタク層に変わった印象がある。

拗らせたオタクとはまたちょい違う。

ゲームだけど格闘技のシミュレーション。
そんな感覚はただ手先の器用な奴が上手い、ブラインドタッチ余裕!みたいな層に取って代わられた気がしてる。

何と言えばいいかな?
陰湿なイジメみたいな喧嘩の再現みたいに感じられるようになったんだよね。

時代は変わった。
バーチャも変わった。
そんな気がしたんだ。

じゃあ、何処に行く?
僕には鉄拳があったから救われた。
格闘ゲームから離れなくて良かった。

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前のブロックは余談めいてしまった💧

3D格闘が主流になり、ゲーセンが引き篭もってもいい場所じゃなくなり、一般層に溢れた。

当時はアニメテイストの裏切らない性格のキャラクターが溢れる2D格闘なんてもう出ない!
そんな風に思ってた。

行き場を失くして部屋でRPGにのめり込む。
ただアクションや格闘はしたいんだよなあ。
そんな人が龍が如くに走った気がする。

部屋のドアを開けたら行ける世界で、喧嘩の強いなれなかった男になる。夢と憧れの話だ。

ただこれもそのタイトルの持つ匂いが、すぐに一般層に普及させた。

本来は夜を生きる人たちの方が馴染みのフィールドであり、地続きのファンタジーだったんだから。

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アニメ表現のビジュアルを求め、それでも今の自分と地続きではありたい!

異世界転生って、そんな願望が求めたのかな?
なんて、ふと思った。

それなりにハードな世界観もあるみたいだけど、

異世界に行ったら最強であったり
そこが本来自分が評価されるべき世界であったり
自分の良さを分かってくれる女性が沢山いたり

それって、、昭和で表立ってて、平成や令和ではお目に掛からなくなった欲望と願望。

現実に疲れた時に求めたくなるビジョン。

だから爆発的に増えたんじゃないかな?

なんてね、ふと思ったんだよね。

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結局、闘争本能な承認欲求は今も変わらないんだ。
ただ表現方法が変化しただけ。

SNSなんかも地続きだけど、ちょっと匿名性があって殴り合いにすぐなる訳じゃないものね。

安全を確保しつつも本質は変わらないのかもなあ。

詳しくも無いのに異世界転生について、平成や令和のエンタメの主軸なんてもんを何となく考えてた理由は、まほろば隠れ人に関係あります。

これが中々、戦いはするんだけどちょい違う。
ついでに言うと、4話までのお話は実は出来てる。
でも、書いてない。

そんな理由をいつか少し話したいなとも思ったり。
まあ、そんな日々っスよ。


マブ

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