歴史と寄り道

中学高校で社会科を教えています「しんせつ」と申します。古代オリエント史・ギリシア史を中心に、歴史のおもしろエピソードをお届けします。時々どこかへ寄り道します。みなさんどうぞよろしく!
 第一回は、バベルの塔です。

一. バベルבָּבֶ֔ל(ヘブライ語アルファベット、右からBBL)の塔
 その1 バベルの塔とはなんだ?
 「バべルの塔」とは、旧約聖書の創世記に書かれた巨大な塔のことで、メソポタミア(現在のイラク)の南にあった新バビロニア王国(前625~539)の首都バビロンに立っていたと考えられています。
 バべルの塔と言えば16世紀のオランダの画家、ペーテル=ブリューゲルの描いた絵画が有名ですね。

ウェキペディアより


しかし、実際のバベルの塔は、ジッグラトと呼ばれる方形の聖塔であったと考えられています。

ウェキペディアより

写真は復元されたウルのジッグラトです。ジッグラトとは「聖域の中心部に建造された煉瓦構築の聖塔」です。メソポタミアに20ほどの遺跡が確認されています。バベルの塔は「バビロンに建立されたジッグラト」ということになります⁽¹⁾。
 バべルの塔について、旧約聖書には、「人々は町と天に届くような塔を建てようとしたが、神が人々の言葉を互いに通じないようにしたので、町(と塔)を造るのをやめ、人々は各地に散っていった。それにちなんで町はバベルと呼ばれた。」とあります。原文には次のように記されています。

◎創世記第11章1~9節(聖書 日本聖書協会1987)原典はヘブライ語
 全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代わりに、れんがを得、しっくいの代わりに、アスファルトを得た。彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう。」時に主は下って、人の子たち建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう。」こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。
                            
 実は「バベルの塔」という言葉は聖書には出てきません。後からついた名称ですね。そしてこのエピソードは、宗教的には人間の傲慢さを戒めるたとえとして引用されています。高い塔が傲慢でしたら、こりゃ東京スカイツリーなんか、建てられませんね。
 さて、聖書に戻ると、文中の地名「シナル」とはローマアルファベットで ‘Shinar’と書きます。ヘブライ語の辞書によると、これはバビロニアの地をさします⁽²⁾。この町の名は、もとはアッカド語(古代メソポタミアの言語で楔形文字で書かれた)の「バブ・イリ/イラニ」(神の門)でしたが、ヘブライ語のBLL「バラル」(混乱、つまり言葉の混乱)と混同されて、この創世記の「バベル」になったと考えられています⁽³⁾。日本語に無理やり訳すと「ばらばら」ってところでしょうか。
 バビロン捕囚(前586年~前538年)⁽⁴⁾から解放されたイスラエル人(ユダヤ人)が「バベル」の名をギリシャ人に伝えて「バビューン」となり、それが変化して「バビロン」という都市名になり⁽⁵⁾、さらに、バビロンからバビロニアという地名が生まれたということになります。そして上記の「創世記」の記述は、イスラエル人がバビロン捕囚にあったとき、見聞きしたことが影響したとの見方があります。
 この通称「バベルの塔」は、考古学調査によって、新バビロニア王国の首都バビロンのエサギル神殿の神域に立っていた、聖塔「エテメンアンキ」であろうと推測されています。
 え?新バビロニア王国ってどこ?いつの時代?というお話は次回!(その2につづく)
                                    注(1)三笠宮崇仁監修 岡田明子 小林登志子著『古代メソポタミアの神々 世界最古の「王と神の饗宴」』集英社(2000)p96  
注(2)Francis Brown, S. R. Driver and C. A .Briggs, “Hebrew and English Lexicon of the Old Testament” Oxford University Press (1952) p1042(略称BDB)
注(3)BDB、p93、p153
注(4)紀元前586年に新バビロニア王国のネブカドネザル王がユダ王国の首都イェルサレムを征服して、ユダヤ人をバビロンに強制移住させた後、解放されるまでの約50年間をさす。
注(5)三笠宮崇仁監修 岡田明子 小林登志子著『古代メソポタミアの神々 世界最古の「王と神の饗宴」』集英社(2000)p98



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