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午後の授業

 こんなに暑い日が続いている、午後。
 新しいほうの学校に行ってみれば、社会科準備室は窓だけ半分開いていて、だあれもいない。あ~、暑い。
 チャイムが鳴ったので、そこから教室へ行って、今日はまず、すみれのように静かで、繊細な雰囲気のクラスで授業。


 教室に一歩足を踏み入れると、エアコンがついていて、
「わー!涼しいっ!……?……??」
と、つぶやいたが、
「……くないね?? あんまり涼しくないね……?」
と正直すぎる感想をつぶやきなおしてしまったわたしに、ある男子生徒が、
「この生ぬる~い感じが、ちょうど昼寝には最適というか……。」
と、のってくる。
「あはははは……」
と、笑って、号令をかけてもらって、授業を始める。

 ついに新しいほうの学校でも、エアコンが稼働した。ただし、コロナがちらほら見られるので、窓が開け放たれている。


 午後2:00からの授業。
 そもそも休憩時間から、机に突っ伏している生徒がちらほらいたくらいなので、男子生徒の宣言どおり、当然、授業が始まっても、生徒たちは帰り道のチャイルドシートの子どものように、半分瞑れたような目をしてこっちを見ている。
 ごめんね?フーコーの話、してもいいかな??という気持ちになる。

 うわぁ……、これは……。いったい、何人起きていてくれるだろう??

 

 わたしが、高校生だった頃、こんな感じの授業、あったな~……。
と、思い出す。


 高校生の頃、わたしは現代文の、その中でも特に、詩のところが、なぜかとても、好きだった(多分、字が少ないから)。続く好きな順で言えば、古典だけど漢詩、小説、次が古文、漢文で、評論などには興味がなくて、次が数学と英語と化学が同率、次が物理、地理はごちゃごちゃしていて一番面白くない、と思っていた。いかに、今の仕事に向いてなさそうかが分かってしまう。
(美術と体育は当たり前に好きだけど、家庭科はちょっと面倒くささがあり…。)


 高校3年間、現代文を教えてくださった先生は、おだやかで真っ白な頭の男の先生で、とても穏やかでにこやかで繊細なようでおおらかな感じの先生だった。理系女子クラスは、基本、落ち着いた、良心的なクラスだったので、いくら昭和と言えど、このクラスに来て怒鳴ったりするような、強者な先生は一人もいなかったのだけど、その中でも最も穏やかな感じの先生だった。


 さて、その先生の現代文週2時間のうち、1時間が5時間目、午後だった。こんなに面白い授業なのに、理系の女子にはそこまでの興味はないらしく、5時間目の日はいつも、クラスメートの何割かの後ろ頭がだんだん居眠りを始めるのが、真ん中のやや窓際の席の辺りからのアングルの映像として思い出される。
 みんなは、「現代文の先生、すごく好きなんやけど、いい人過ぎて眠くなるんよね~。」とか言っていたっけ。「え~! すっごく面白いよ?」と、わたし。

 わたしに言わせれば、小説でも、詩でも、先生が、先生の言葉で解説してくださると、高校生の女子には大昔の関係ないおじさん?お兄さん?としかはじめは感じられない、芥川龍之介や梶井基次郎や萩原朔太郎や中原中也なんかに登場する人たちの気持ちや情景が、頭の中にパッと生き生き浮かぶ、この上ない授業なのに。あー、分かるってこういうことなんだぁ!と、感動したものだ。


というところで、長くて、それこそ寝せてしまいそうだから、また明日にします。終わりまーす。

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