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もう一つの世界、27  イヌと少女、3/7

イヌと少女、3/7


 おれは、少女の気持ちにおされて、だんだんその気になってきた。 
 朝日がおれを誘っている。
 なんで朝の光を浴びると、気持ちが前向きになるんだ。これが夜の話だったら、きっと断っていた。
「仕方ない、室戸岬に行くか。」
 どうせ、なりゆきまかせの目的のない人生。
 しばらく少女に付き合ってみるか。
 おれはなんとなく決めた。 
 少女の顔がパッと輝いた。早速、現実的にあれこれ考えだした。
 やっぱり小さくても女だ、男にはない生活力をちゃんと身につけている。
 まず、いかにも飼い犬らしく、首輪とリードひもを買った。
 これで誰が見たって少女と飼い犬の散歩にみえる。つぎにキャリーバッグを買いにいった。
 夏の朝の商店街は気持ちがいい。太陽はまぶしいが、すがすがしい空気が充満している。ガラガラとシャッターを開ける音が響き、さあ、きょうもがんばるぞ、といった空気にみちている。
 少女は、店の前で目で合図した。おれが頷くと、布製の大きなコマ付きキャリーバッグを三千八百円で買った。少女は、おもしろそうにキャリーバッグを曳きだした。路地裏にはいって、キャリーバッグの中に入ってみると、すこしガタガタするが 居心地は悪くない。 
「もう行くしかないな。」
 決めたら気持ちの変らないうちに、室戸岬までの行き方を、少女に教えた。
「まず和歌山港まで行って、フェリーで徳島港にわたって、そこからは、
バスか、列車で室戸岬に行くんだ。ひとりで電車に乗ったことあるか?」
「ないけど。おかあさんとは、何回も乗った。」
 少女は、心配そうにおれを見てる。
「行くのやめるか?」
 おれも心配になってきた。
 少女は 泣きそうな顔で、 
「いく。」
 真剣な目だった。
 仕方ない、行けるとこまで行くか。 
「もし困ったら、しゃがみこんでおれに訊くんだぞ。」
 おれはキャリーバッグの中に潜り込んだ。
 少女の着替えの服の匂いが、かすかに漂っていた。
 おれが、キャリーバッグにおさまっていると、さっそく訊いてきた。
「和歌山港までどうやって行くの?」
 そうだよな、まずは、そこからだよな。
 おれは 出来るだけ行きやすい方法を教えた。
「新今宮までJRで行って、そこで和歌山港行きの南海線に乗り換えるんだ。」
「おじさん、ありがとう。」
 けなげな、たよりない声だった。
  少女は キャリーバッグを曳きながら歩きだした。
「おじさんか・・。」 
 声だけ聴くとおじさんなんだ。それがなんかおかしかった。暗い中でおれの身体がゴトゴト揺れている。なにもすることがない。おれはぼんやり考えていた。 
  少女はイルカになれるのかな?
 普通に生活して死んでいく人間と、ほかの生き物に生まれ変わって生きていく人間と、何が違うんだろう。
 おれと少女に、なにか共通点はあるのか?
 たんに偶然の産物なのか? 
 それとも、なにかの法則によって成り立っているのか?
 おれが、イヌとして生まれ変わる理由があったのか?
 何の理由もなく、たまたまイヌになったとしたら、現実は気まぐれで、残酷すぎる。
 神様の悪戯?いやいや、おれは、神なんか信じてない。
 じゃあ、だれの悪戯?
 まあいい、半分捨てた人生だ。案外、イヌの方が気楽に生きていけるかもしれない。そう思うと、生まれ変わった現実を受け入れるのも悪くない。うつらうつら考え事をしていたら、少女の小さな声が おれを現実に引き戻した。
「おじさん、いま、新今宮を降りて南海線で和歌山港行きの切符買ったよ。」
「どっちにいけばいい?」
 キャリーバッグの中から顔をだすわけにはいかない。
「改札で駅員さんに和歌山港行きのホームを訊いて。」
「うん、わかった。」
 少女の声がうわずっていた。初めての一人旅でドキドキしてる。     少女は、いわれたとおり駅員にたずねた。
「和歌山港へは、どう行ったらいいんですか?」
「三番ホームから快速に乗って下さい。あと一〇分ほどできますから。」
 二人の会話が聞こえる。 
「おじさん、簡単だったよ。」
 そして、小走りで三番ホームに向かっている。おれの身体がキャリーバッグの中で跳ねていた。
 快速に乗り込むと、少女が話し掛けてきた。
「うまく乗れたよ、遠足みたい。」
 クスクス笑っている。
 少女は、もう今の現実を受け入れている。おれはヒヤヒヤ、真っ暗なキャリーバッグの中で、気配だけを感じていた。
「電車空いてるよ、まわりに誰もいないから 今なら話せるよ。」
「そうか、誰かきたらバッグを二回たたいて知らせるんだぞ。」
 とりあえず困ったときの合図を決めてから、おれは喋り出した。
「和歌山港は終点の駅だから、それまでのんびりしていても大丈夫。おれは眠るからな。」
 電車 のゴトンゴトンの音だけが聞こえる。少女は、ぼんやり外の景色でも見ているんだろう。真夏の暑さなのに、電車の中は冷房がきいて快適だった。単調な音が続く中、時間だけがゆっくり過ぎていく。
 どうしてイヌになってから、時間がゆっくりすぎていくんだろう?
 人間だった時は、なにもしなくても時間はどんどん過ぎていった。
  家では家族から、学校では先生から、そして職場では上司から、急かされて怒られたことしか記憶になかった。きっとなにかにつけても、他人から指図され流されて生きてきたからにちがいない。
 少女はどうなんだろう?
 今だけを生きている。きっと、今の時間が永遠に長くのびているにちがいない。
 正確なはずの時間さえも、伸び縮みするんだ。
 絶対はないんだ。 
 おれは、今イヌ。考えるのが面倒くさくなってきた。どこにいてもうつ伏せになると、うつらうつら眠ることができる。       
 これが、現実だ。  


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