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夢とデジャヴの関係?

こんにちは。
前回にはひきつづいて夢のお話です。

前回、夢は人間の脳が体験や感覚、記憶を整理する時に起こる現象のひとつなのではないかという様なことを書いたと思います。
そんなことは、すでにどこかで具体的に証明されていることかもしれませんが、自分が体感しているので、本当にそうなんじゃないかと実感します。

自分が経験したことや、見た景色などの情報は、全部覚えていると大変だから、脳は必要なものとそうでないものとを整理して、覚えとかなくてもいいものは、時間とともに少しずつ意識から外していく様に振り分けをしているのかもしれないということですね。

そして、外されたものが、潜在意識の底に蓄積されていき、たまにそれが「夢」という形で表れる時もある。

という様なことを書きました。

それで、夢は「脳の機能の一部」と考えると、デジャヴに近い現象ということもあるかもしれないと考えたりします。

もちろん、夢ということ自体は、不思議な事象で、予知夢とか、明晰夢、何らかのメッセージをキャッチする器とか、様々な意味があるとは思うのですが、デジャヴとは、完全に目覚めていて意識がある時の感覚、「初めて見るものなのになんとなく見覚えがある」とか、「初めて訪れた場所なのに前に来たことがあるような気がする」とか「一度夢で見たことがある」などの「既視感覚」を指すといわれています。

自分もこの「既視感覚」に近い夢をよくみている気がしています。

例えば、自分は、学校や、電車や駅、飛行機や空港の夢などは定期的にみます。

自分の場合、学校の夢の場合ですと、見る度に、古い校舎や、新しい校舎、トイレの位置とか、階段の踊り場の風景とか、毎回微妙に場面の構造などは違うのですが、どこかそれらは繋がっている気がします。

学校の夢の場合は行きたい教室になかなか、たどり着けず校舎をさまよってることがあったりします。

この夢の時は、なんだか、雰囲気が暗く、校舎の並びも多く、階数も高いので、階段をよく登ったり、行ったり来たりしますが、気がつくと、一定の地点まで戻っていたりします。

そして、朝目覚めてその時学校の夢をみたと認識します。

そして、起きて普通に日常を生活していたりなんかすると、夢の中の景色が一瞬、脳裏にフラッシュバックして、あ、朝の夢の景色ははここだったのかと気づかされる時があります。

それは例えば、たまたま、昔娘が通っていた中学校の前を車で通り過ぎた時だったり。

普段は、そんな昔通った娘の学校の建物のことなんて頭にあるはずもないのに、一瞬で夢の中の校舎の景色が頭に浮かんだりします。

もちろん夢の学校の景色は、その娘の中学校だけではなく、自分が通っていた大学の風景の一部かもしれないし、もっと昔の自分の小学校時代の校舎の景色の一部である場合もあるかもしれません。

娘の中学校だと思ったのは、「階段の踊り場」の景色が近かったからです。

この様に、すでに現実に一度見たものが夢で再び表れるということは、全くそうだとまではいいませんが、デジャヴに近い感覚じゃないのかなと思ったり。

でも、どちらにしても、こういった夢には「既視感覚」と「記憶」「記憶力」が関係してるんじゃないかと思いいます。

視覚という意味では「牡牛座」ですが、「既視感覚」は占術家松村潔氏によると乙女座だということです。

そして、「過去の記憶」という意味では、やはり月の影響になるのかな?と考えてみたりします。

行きたい教室にたどり着けず校舎をさまようという夢の意味は既視感とは関係ない気がしますが、もしかしたら既視感とセットで、その時、その当時の自分の状況の中で体験した感情や感覚の意識的なものと何か関係しているのかもしれないとは思います。

ちなみに、自分の太陽は牡牛座10度、アセンダントは乙女座16度、月は山羊座で25度で、月は太陽以外の全惑星にアスペクト(マイナー含めて)あります。

今日は夢のお話の深堀り第2弾でした。

第3弾に続きます!

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