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私学訪問日記【海城中学高等学校】

 結論から書けば、「海城は、ぼんやりしていない」ということだ。

 一方、世の中は、段々と、ぼんやりしてきている。

 日本は、成長社会から成熟社会へと移行し、多くの人がそれなりに裕福になり、生き死に困るということはあまりない。「人の数だけ幸せがある」という、一見、自由であるかのようなアナウンスもある。それでも、「なんとなく幸せなような、そんなこともないような」「何かを成しているような、ただ動かされているような」曖昧な思いの中で、生きている人も少なくないだろう。大きな不満はないが、それでもどこか満ち足りていないような、ぼんやりした中途半端さに不安を覚えることはあるだろう。

 さて、一方で、海城で学んだ子どもたちは、このような「ぼんやりの中」にはいない。海城の教育は、はっきりしている。

 例えば、「人間力」の育成。「人間力」はどうすれば身につくのか。自己肯定感を持って、他者や環境と協調しながら、自ら幸せな未来を創造していく力をつけるメソッドは存在するのか。多くの場合、ここに対してぼんやりした考えしか持ち合わせていない。しかし、海城の答えは明確で、「プロジェクトアドベンチャー」や「ドラマエデュケーション」といった体験学習にこそそれを可能にする方法があるとしている。

 「プロジェクトアドベンチャー」とは、冒険性のある課題を仲間と協力してクリアしていくアクティビティだ。プログラムの一つに、地上10数メートルの高所に張られたワイヤーの上を仲間が支える命綱を頼りに歩くというアクティビティがある。当然、怖くて、脚がすくみなかなか踏み出せない子もいる。

 未知に踏み出すには勇気がいる。勇気を出すには、自己と対話し、場を冷静に見極めるほか、他者の支えが必要であることを子どもたちは知る。だから、下にいる子たちは、上で踏み出さんとする子を全力で応援する。例え、挑戦が失敗に終わっても、それをけなす仲間は一人としていない。なぜなら、勇気を持って一歩を踏み出そうとすること、何かに挑もうとすること自体の貴さ・崇高さを一連の活動を通してみんなが身を以て知るからである。活動の振り返りを大切にしながら子どもたちは対自己、対他者、対場(対象世界)への認識を深め、人間力を高めていく。

「プロジェクトアドベンチャー」の冒険性のある課題

 「ドラマエデュケーション」は、演劇的手法を用いた教育プログラムで、コミュニケーション等の方法について学ぶものだ。例えば初めて会った人が語ってくれる思い出話をメンバー数名で聞いて、その内容を元にみんなで脚本を書き、演劇作品として演じるという活動がある。作業の前半、各人の聞き書きを持ち寄って脚本を書く段階で、子供たちは、同時に同じ人から聞いたことなのに、そのイメージが人によって大きく異なっていることに気付く。

 これは人間の「異質性」についての重要な気付きである。異質なままでは一つの作品は出来ないので、ここで互いのイメージの擦り合わせが行われる。これこそがコミュニケーションのイロハとなる。続いて他者(観客)に作品の内容を届けるという後半の課題を通じて子供たちのコミュニケーション能力は更に鍛え上げられて行く。そしてその活動を通じて獲得された能力は日常の場や授業のプレゼンの場で応用され、洗練されて行く。

「ドラマエデュケーション」の一場面

 海城はこの方法で明確に「人間力」を伸ばしていく。ここまで直接、はっきりと「人間力」にアプローチしている学校は少ない。教育内容のアップデートは常に行われていて、メソッドがはっきり確立されている。

 一方で、よくある他校実践の探究の形として「実態に合わせて…」「毎年テーマを変えて…」というものが多いが、やはり人間力の育成という意味ではぼんやりしてしまうことが多いように思う。探究活動を通して、思考力・判断力等の育成が狙われた先に、なんとなく人間力が積みあがるというイメージで行っている事例が多いのではないだろうか。

 当然、海城においても、他校の探究学習のように高次の認知能力を高める取り組みが行われている。これも同じく明確で、「社会科総合学習」で課題設定・解決能力を、「理科の実験・観察・野外観察」では思考力とりわけクリティカルシンキングの力を高めていくとしている。これらの説明は、文量の都合、別に譲ることとする。

 とにかく、くどくなるが、私はここまではっきりと人間力等の「非認知能力」、或いは判断力等の「高次の認知能力」にアプローチしている学校を見たことがない。これらの力は可視化が難しく、特にぼんやりしがちだ。海城は、従来からの知識技能などの「基礎的認知能力」に加え、「高次の認知能力」、「非認知能力」を確実に獲得させ、ぼんやりしていない人材を社会に送り出す。

 それならば他校は、海城の真似をする、という選択肢も考えられる。しかし、それは難しい。科学的な根拠と明晰な論理を元に、綿密に設計・構築されたメソッドの理解や指導は一朝一夕でできるものではない。何よりも海城という学校のアイデンティティーが明確なことで、活動に命が吹き込まれている。単発活動だけであれば行う学校は多くある。しかし、何を目指し、どう系統立て、何を与えるのかを整理、統一することは多くの労力と時間を要するし、根拠となる確固とした学校理念が共有されている必要がある。

 また、模倣が難しいハード的な理由は、海城が本物に触れさせていることにある。上記の「プロジェクトアドベンチャー」や「ドラマエデュケーション」でも有数の専門家の手が入っているし、「理科の実験・観察・野外観察」では、2年前に建てられたサイエンスセンターが活動ベースになっている。サイエンスセンターは、大学顔負けのスペックの実験室が多くあり、科学館や博物館のような知的好奇心を存分に刺激する設備、備品を有した施設である。海城は、ここでもはっきりと分かる本物を提供しており、全くぼんやりとしていないのである。

「サイエンスセンター」外観
入口付近は吹き抜けとなっており、自然な材質が心地よい
実験室には大学並みの設備、備品を有している
サイエンスセンターは実験・観察・野外観察の「本物」のベースである
屋上には、温室、植物園がある

 だから、海城で学んだ子どもたちは、どんな時代であっても、自分にも他人にも世の中にも、正面から向き合って生きていくことができる。幸せという実態のないぼんやりしたものを、自分なりに解きほぐし、使命を見出し、迷わず精一杯に命を燃やすことができる力がついている。

 これからの時代に即した幸せを作る教育の答えを、海城の「ぼんやりしていない教育」に見た思いである。

 海城中学高等学校HP
https://www.kaijo.ed.jp/

 コアネット教育総合研究所 横浜研究室 主任研究員 熱海康太

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