永い付き合い―リベラルアーツの先生―

大学に入ってから、今まで、3回のアメリカ在住中も含め毎月欠かさず読んでいるのが、『文藝春秋』。学生時代はノンポリであったこともあり、当時インテリ仲間では一押しだった『中央公論』はどうも堅すぎて、私にはソフトな『文藝春秋』が肌に合った。

保守的という批判があり、私も否定しないが、内容が多岐に渡り、書き手も多彩で飽きない。今年で発刊100周年というから、読者が全て保守的というには無理があるだろう。偶には左も出て来るし、時の政権に対し、真っ向勝負する気概もある。例えば、立花隆を世に出した“田中角栄研究”を読んだときは、ゾクゾクした。
しかし、何といってもその魅力は、そのカバーする範囲が広いことと同時に、それぞれの記事・内容が相当程度深いことだ。内容は、贔屓目に見れば、保守的というより、リベラルで、ニュートラルといってもいいのではないか?お陰で、こちらの教養が“適温で”刺激される。時代の風も感じる。歴史を振り返る機会もある。自ずから視野も広くなる(なったと思う)。また、娯楽的な側面もあるので、電車の中や、行きつけのカフェなどでリラックスしながら読んでいる。どういう訳か、家では滅多に読まない.

この11月号のトップ記事は城山英巳氏の“習近平の仮面を剥ぐ”だ。良く調べ込んである。ファミリーの歴史が克明に描かれており、迫力十分、興味津々。現代中国の裏側、毛沢東から今に至る流れも垣間見える。そういえばエズラ・ボーゲルの『鄧小平』も大層面白かったなぁ。やはり中国を理解するには、その権力闘争の歴史を避けては通れないだろう。
是非、読むことをお薦めする。
今月号で言えば、もう一つ興味深い記事は、新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂氏の“コロナと戦った三人の総理”。まず、ご本人の専門家としての矜持をきちんと示されているところが爽快。過日、ご本人の講義を30分ほど、リモートであったが、直接お伺いする機会があったが、その時も、これほどの立場になると最後は“覚悟”が大事だといった趣旨のことを仰られていたことが心に残っている。その専門家のまとめ役として接した安倍、菅、岸田三総理の人物評が、かなり切り込んでおり『文藝春秋』ならではのおおらかさ、気っ風と波長が合っており、面白かった。

『文藝春秋』の魅力的内容をここでは全てご紹介できないが、今は佐藤優氏が担当している”ベストセラーで読む日本の近代史”シリーズを含め“文藝春秋BOOK倶楽部”での新刊紹介“今月買った本コーナー”も、日本経済新聞の土曜日の“読書”欄(見開き2面)と共に私が本を選ぶ大きな助けになっている。同誌元編集長の半藤一利さんなどはなんとなく知り合いのような気がして、彼の『昭和史』などは、『文藝春秋』の味がしみ込んでいて、何度も読み返したりしている。

更に加えれば、末ページの“蓋棺録”も興味深い。直近、亡くなった方々の追悼記事だが、その人柄が偲ばれる裏話や秘話がそっと書かれており、あぁそういう人だったのかと妙に感心したりする。最近では自分があの世に行ったらどう書かれるのだろうか、(このコーナーに出る訳ないが)自分は何をこの世に残したのかなどと思ったりもする。
(What did I leave in this world? ”花は咲く“の歌詞の一部の英訳by Roger Pulvers)

“継続は力なり”とは言うが、これだけ永くお付き合いしている『文藝春秋』がどれだけ、私に力を与えてくれたのだろうか?はっきりとした自覚はないが、私の考え方やモノの見方、大袈裟に言えば、やや心許ない教養に少なからず影響があったことは確かだろう。

代表的コーナーである“巻頭随筆”のお陰でこのエッセイもなんとか、書けているのかしら?


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