ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用        ―二分法の落とし穴―

人は二分法(dichotomy)が好きだ。
黒か白かに始まり、自己と他者、肉体と精神、善と悪、ロゴスとパトス、
暗黙知と形式知、ゼロと1、正規雇用と非正規雇用かなど、きりがない。
“分かる”という言葉は“分ける”から来たという説もあるくらいだから、この大くくりの分け方は簡便だし、分かりやすい。使い勝手もいい。私も大変重宝している。しかし、落とし穴もありそうだ。

ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用という表現が人口に膾炙されてきて、最近、毎日といっていいほど新聞・雑誌などでお目にかかる。
濱口桂一郎氏の考えた用語のようだが、既に誤解や曲解が出てきていると
ご本人が嘆いている。(詳しくは同氏著『ジョブ型雇用社会とは何か』岩波新書で)

そもそもメンバーシップ型雇用の定義すら人によってまちまちだ。定番の終身雇用と年功序列をセットにした雇用形態であり、日本の社会・経済の仕組みとして捉えられているが、その実態は個別企業で見るとかなり幅があったように思う。

戦前はそうした仕組みはなかったようで、戦後の経済成長に伴い、雇用の確保・安定が必要となり採られた経営戦略と理解するべきだろう。ホワイトカラーには定期異動という欧米にはない仕組みを採り入れ入れ、常に緊張感を持たせ、好奇心や成長意欲を引き出し、特に優秀な人材には本人の希望も聞きながら、チャレンジングな仕事を与え、企業の成長と人材育成を共に達成してきた。ブルーカラーの分野でも多能工化とか、QC改善活動なども
欧米ではあまり見られない経営の工夫である。一見、硬直的、保守的なメンバーシップ型だが、実は、企業によりその運用はかなり幅があり、その強みと弱点を見抜いて知恵を出して来た企業だけが生き残っている。私は、日本も結構、実力主義であったというのが肌感覚での実感だ。メンバーシップ型という十羽ひと唐揚げで認識し、安易に雇用、人材政策を採ってきた企業は退場しているはずだ。

経済成長と人口動態(ピラミッド型を維持できる人口構成)というメンバーシップ型雇用の大前提がなくなった以上この仕組みはとっくに崩れているが、雇用の安定は社会・国からの要請でもあり、従業員思いの経営者はついついこの枠組みのイナーシャに抗えず、今になって慌てている。

メンバーシップ型からジョブ型へという固定的な二分法的アプローチでは失敗は免れない。世の中はそもそも複雑で、グレイで、ファジィ―で、モザイクで、流動的でグラデーションが、かかっている。また、フラジャイルな側面があると思えば、しぶとい顔も見せる。二分法も二項対立ではなく野中郁次郎先生のように生の人間が主人公で本質を考え抜いたうえで、ダイナミックに使えば、SECIモデルのような展開にもなる。

ジョブ型への流れは避けれないが、日本には日本なりの労働観・価値観がある。また個別企業の歴史、伝統、パーパスもあるだろう。また、ジョブ型になるにはオープンな労働市場が、セットであることも、忘れてはならない。一企業でジョブ型雇用と声高に息巻いても、社会全体としては、空回りしかねない。

フォードでビックリしたのは昇進は実力主義だったが、賃金はかなり、年功的であったことだ。やはり中堅層の頑張りは企業の成長にとって欠かせないことであり、彼らも様々な工夫をしていた。

メンバーシップ型から脱却し、短絡的に、ジョブ型へ移行しなくてはいけないといった責任のない世の論調には私はやや懐疑的だ。過去を振り返り、未来を見据えて、ホリスティックでしかもしたたかな仕組みや仕掛け、そして運用を企業、社会全体で考えたい。安易な二分法の罠には嵌まりたくないものだ。


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