こんにゃく問答

落語の有名な噺に“こんにゃく問答”というのがある。志ん生、圓生、小さんなどの名人は皆、演じるが、私は独特の真正直な雰囲気を持つ林家正蔵の語りがこの噺に一番合うように思う。

噺の筋は大体以下のようなものだ。
旅の禅修行中の学僧が、田舎の寂れた寺の住職に化けたこんにゃく屋の六兵衛との無言(ジェスチャー)でのやり取りをする話だ。

学僧が手で印を作って(無言で)問いかけると、六兵衛は腕を使って大きな輪を作って応じる。僧はそれを見た旅僧は平伏する。僧は次に10本の指を立てると六兵衛は5本の指を差し返す。僧は再び平伏する。最後に僧が3本の指を突き出すと、六兵衛は片目の下に指を置いた。僧はこの”答え“に驚愕して、ご住職、恐れ入ったと逃げ出すように立ち去った。
 
学僧の第一問は「胸中は如何」という問いだったのだが、住職の答えは「大海の如し」。第二問は「十法世界は」?答えは「五戒で保つ」と学僧は理解した。そして第三問は「三尊に弥陀は」。答えは「眼下にあり」。
 
一方、六兵衛さんの理解はお前のところのこんにゃくはこのくらいだろうと馬鹿にされたので大きく腕を広げてこれくらいだと反論した。次に十丁でいくらだと聞かれたので、五百文と答えた。最後の三百にまけろと聞いてきたのであかんべぇをしたというものだ。
 
学僧は無学の六兵衛さんから深遠な知見を学んだというお笑い話だが、私の大学院での院生とのやり取りとどこか似ている気がしている。院生は、皆まじめで学ぶ気が横溢している。
学僧のようだ。とりわけ私が担当した”ビジネス実践知探究“は編集工学を中心とした言葉と認識そして行動に関する実践知学だが、毎年、熱心な学僧が集まる。
 
ミソは毎回出される宿題のレポートに対する私のコメント。一人一人の持ち味や関心に合わせて禅問答に近いコメントをメールで返す。こちらの意見はほとんど述べず、レポートに関する内容に対しての開放系の疑問や簡略的な感想を送ることにしている。
すると院生は学僧よろしく悩み、考える。私はそれほど深い答えを期待しているわけではないが、彼らが“勝手に”深堀していく。その反応を次の講座で院生同士で披露しあっていただく。
 
互いが学びあっていき、講座を進める度に皆の”探究“心が広がり、響きあい、知的好奇心が高まり、終わってみると講座自体も高い評価を受ける。こちらは六兵衛和尚なのだが、学僧である院生が自ら深遠な答えを導き出すという具合だ。
まぁ、私はこんにゃくも作れない六兵衛だが、“先生”だからと言って、なまじ知ったかぶりしないで接するようには心掛けてはいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?