vulnerabilityもしくはfragility

日本には平安の昔から“はかない”という表現がある。儚いという漢字を充てるのも興味深い。
考えてみれば、人生は一瞬の連続であり、地球の歴史から見れば人生そのものも一瞬である。永遠などということはない。そもそも人ははかない存在だ。厭世的に言っているのではない。私には、儚さは、世の哲理のように感じる。

こう私たち日本人が考えるのは、和辻哲郎ではないが、やはり風土は関係しているだろう。山が多く、したがって川が多く、しかも海に囲まれている。いったん大雨が降れば土砂が流れ、田畑は水や土砂に埋まる。しかしそのおかげで土地は肥沃になり、海に栄養が十分に流れ込み、海の生物が育つ。一方、地震もある。津波の怖さはこの3.11でも経験した。この日本では、自然の前には人間は膝まずからざるを得ない。神はあらゆるところにおわします。

大自然の中では人間は誠に小さな存在であり、自然に寄り添い、自然に従い、自然とともに生きていかなければならない。儚い存在だということを知って初めて生きている、生かされている有難味がわかる。もともと最近の流行言葉で言えばサステイナブルなのである。

欧米の文化は、詳しくは知らないが、どうも完全・永続・征服などというコンセプトを大切しているように感じる。だからこそ、神(一神教)を信じ、己のもろさを補完しているように映る。

マイケル・サンデルが能力主義について批判的な論陣を張っていたが、彼の主張はこの儚さとは違うのだろうが、いわゆる実力本位、その裏にある人間観・社会観に対し疑問を投げかけていることに私は共感する。誰もが脆さや弱さ、壊れやすさを持ちながらたがいに助けありながら生きていくのだということは、私たちはこのコロナ禍で学んだ。

ジョブ型雇用が大手を振って歩き始めたが、その裏にある仕事観、社会観を
きちんと整理し、多くの人が働き甲斐や生きがいをもてる日本独自の考え方・仕組みも同時に考え行きたいものだ。

そもそもsustainableとはvulnerableとかfragileがベースにあるのではないか?
perfectとかperformanceなどと勇ましいことをいうから生態系が崩れ、地球環境問題が発生したことを忘れてはならない。

脆さ、壊れやすさを受け容れるからこそ,ポキンと折れるのではなく、竹のようにしなやかになり、結果的にresilientになれるのではないだろうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?