『宇沢弘文』

人物評伝を読むのが好きだ。
その生い立ち、両親の影響、青年期をどう過ごしたか、どのような師や友人に出会ったか、更に挫折や壁にどう向き合ってきたかなどを知ることでその人の人生の生き方・考え方をより、臨場感をもって知ることができる。どんな偉人や有名人も必ず原点があり、屈折点・変曲点がある。それを裏話や逸話を含めて知ることはその人を知るうえで極めて意味のあることだ。

これまで多くの人物評伝を読んできたが、2冊ほど上げれば、まずエズラ・ボーゲルの『鄧小平』だ。エズラ・ボーゲルと言えば『ジャパン アズ ナンバーワン』があまりにも有名だが、実は彼は傅 高義という中国名を持っているほどの中国研究家である。
鄧小平については何も知らなかったが、若い時にフランスにわたりそこで共産党に入党したことや、毛沢東に人生を翻弄されながらも、しぶとく生き残り、あの改革開放を成し遂げる話に引き込まれる。社会主義の中核である計画経済に見切りをつけ、政治的立場を変えずに大胆に市場主義を採り入れる見識はやはり若い時をフランスで過ごしたことや目の前で毛沢東の失政を見てきたことが大きいだろうとこの評伝を読むと納得度が高まる。
 
今一冊は、人物評伝ではないが、小熊英二著『生きて帰ってきた男』は実に面白い。著者の父親がシベリヤ抑留から帰って来てから日本の経済成長の波に揉まれながら生き抜いてきた姿を著者が当時の社会情勢の解説を織り交ぜながら描いている。一人の平凡な市民の半生であるが、子供が父親に何度もインタビューし、それを整理し一つのストーリーに仕上げている。ちなみにこの本は第14回小林秀雄賞を受賞している。
 
今回、佐々木実著『宇沢弘文』を読んだ。宇沢弘文については『自動車の社会的費用』や『社会的共通資本』の著者として知っていたが、その人物像についてはほとんど知らなかった。しかし、前々から気になっていた経済学者、思想家であった。
著者は宇沢弘文に私淑していただけあって、とにかく内容が濃い。生い立ちはもちろんだが、河上肇の『貧乏物語』が彼のその後の生き方に大きな影響を与えたことはついぞ知らなかった。
数学から経済学に転向した経緯や、スタンフォード大学で抜きんでた実績を出し、シカゴ大学ではあのミルトン・フリードマンと正面からやりやったあたりの話は大学で経済学を専攻した私にとっては有名な経済学者・社会学者があちこちの顔を出してくるので興味が尽きない。アメリカのベトナム戦争に対する姿勢に嫌気がさして地位も給与・研究費も大幅に下がるにもかかわらず、10年過ごしたアメリカを去り、日本に戻った。
 
驚いたのは彼が日本に戻ってからの行動である。もともと経済学者であるが、新古典派経済学の持つ市場中心主義思想に距離を置いていた彼は日本の経済成長の陰に追いやられた
個人の自由や拡大していた不平等、さらに環境問題などに大きな関心を示し、水俣病、成田空港だけでなく幅広くしかも深くかかわりあっていたことは迂闊にも知らなかった。
 
ところで、ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツの本はパラパラと読み親近感を持っていたが、彼が宇沢弘文の愛弟子であったことをこの本で初めて知って合点がいった。

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