物語あるいはナラティブ

人の上に立つと、あなたは自分の方針や価値観を語ることが求められる。

しかし、よく有り勝ちなのは、会社の方針や目標、そこからカスケードされた上司のそれを自分の責任範囲の中でブレークダウンしてそのまま内容、数字目標はもちろんロジックや背景すらも同じ語り口になってしまうことだ。

目標管理、方針管理を機械的に運用すればどうしてもあなたの独自の意思を入れづらい。むしろ、なまじあなたの意思が強すぎると、上司の方針と平仄が合わず、下から見ても組織全体としてちぐはぐ感が露呈してしまう。するとあなたの方針はあなたの個性が見えない、味気ないものになってしまう。組織がそれで回ればいいのだが人間の集団である以上、機能論だけでは済まない。生の人間がいる。一人一人違う。多様な知見や価値を持っている。

いくらパッションや誠実さがあってもロジック優先では人は思うようには動いてくれない。そんな時、”使える“のは”物語“である。ロジャー・シャンクという認知科学者が”人は論理を理解するようにはできていない。物語を理解するようにできている“と喝破したが、話が込み入ってくると人は自分の経験や物語に照らして他人の話を聞いているようだ。
ロジックだけで理解し、納得するほどことは簡単ではない。

“物語”は聞き手が物語の登場人物として自分を捉え、その物語の終わりに(目標、目的)、 困難を乗り越えていく姿がイメージ出来るようにすることができる。過去を新たなスタートのプロローグとし、現在を特定の目標に向かって進む始まり(中間点)とし、未来を目指すべき目標として描くことだ。
 
ロジックはどうしても物事を一般論として捉え、意思決定の際に主観を排除してしまうのに対し、物語は聞き手の主観に寄り添い、彼らの物語の中に入り込み共感を引き出すという力がある。上司の方針との整合性はとりつつも、思い切ってあなたの主観・価値観を前面に押し出し、聞き手とのやり取りを大事にしながら彼らの行動を引き出す。相手文脈に入るといってもいいし、相互主観性といってもいい。
 
近年、“物語”を”ナラティブ“と区別する論調が多い。物語をやや硬く考え、単なるストーリーとするのに対し、ナラティブは話し手の主観・価値観をベースにしながら、聞き手の物語の中に一歩踏み込んで共感を引き出す”語り“としている。なるほど。異論はないがナラティブも広い意味で物語であるといっても間違いはないだろう。

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