特別でありたいという欲求

特別になりたいという欲求はありますか。私にはあります。

仕事において傑出した特別な存在でありたい。兄弟の中で特別でありたい。友人にとって特別な存在でありたい。誰かの特別でありたい。

欲求を無視すると変な形(多くの場合は悪い形)で欲求が出るので【特別でありたい】という欲求に向き合うことにしました。

考えるポイント① 特別とはどのような状態を言うか
特別である、の定義から考えてみましょう。まず、特別であるためには自分以外の人間が必要ですね。ひとりでは特別にはなれません。みんな、私と同じようなポジションにいて、私と同じものを求めています。求めているものは地位かもしれないし、愛情かもしれない。とにかく、数少ないものを数多くの人間が求めている時に「特別でありたい」という感情が沸き上がる気がします。

考えるポイント② 特別をどう計測するか
特別になるための対象物をYとします。Yを求める人間の多さとYを手にする人間の少なさでYの特別性(希少性)が計測できます。両親から特別扱いされたいという気持ちは、ひとりっこよりも5人兄弟の方が強く出るのではないでしょうか。需要と供給ですね。

考えるポイント③ 特別におしまいはあるか

「特別」と言われたらそれで終了なのでしょうか。特別への欲求は収まるのでしょうか。ある言葉が心に残っています。大変女性に人気のある男性が言った言葉です。「あなたは特別だよ、とどれだけ僕が心砕いて伝えても、信じてもらえない」と言ったのです。私はこの言葉を聞いてはっとしました。「特別」は言葉で完了するものではない。「特別」は行動とセットなのです。特別は行動を伴い、状態として継続されていなければならないのです。特別に終わりはないのです。

考えるポイント④ 特別であることで得られる利益(実利)はあるか

優越感以外に特に目立った利益はないように思います。例えば「プレミアムなあなたのために特別に部屋をグレードアップしました」と言われた時を想像してください。優越感以外の利はあるでしょうか。グレードアップした部屋を本当に欲していたのであれば、その部屋を初めから予約していたでしょう。心の状態を脇に置いて、実益だけに着目してみましょう。特別である場合とない場合にそこまで大きな差はないように感じます。

考えるポイント⑤ 特別を求める裏にある本当の欲求は何か
「特別」に実利はありません。なのに「特別」が欲しくなるのはなぜでしょう。認めるのは苦しいですが、他の人間よりも上に立ちたい、他の人たちを見下したい、という欲求があるのだと思います。私は心の奥底で、周りを、他人を、不特定多数を見下したいと思っているのです。他の兄弟よりも上に立ちたい。他の社員を見下したい。愛情を独り占めしたい。羨ましがられたい。極論「特別」の対象物である地位や愛情はどうでもいいのです。周りを見下したい、が本当の欲求なのです。

まとめ
特別になりたい、という気持ちに向き合った結果、他人を見下したい、という欲求を発見しました。少し距離を置いて欲求の観察を続けようと思います。