渋沢栄一ゆかりの酒蔵「山成酒造」

画像1 桜渓塾から公園を出て左折してくねくねと山を下る。この道を渋沢栄一も歩いたかもしれない。国道に出るとそこに阪谷朗盧ゆかりの酒蔵「山成酒造」がある。小さいながら江戸時代から続く由緒ある造り酒屋で「店舗兼主屋」と「離れ座敷」は国の登録有形文化財に指定されている。
画像2 山成酒造にはゆかりの人物が揮毫した「協和堂」の書が残されている。これは新一万円札の顔となる「日本資本主義の父」渋沢栄一が山成家のために書いたものです。山成酒造の恭さんは阪谷朗盧夫人。幕末の頃、阪谷朗盧の協力により一橋家の農兵募集に成功し栄一は一橋慶喜に見いだされた。この時、互いに信頼し合った縁もあり、朗盧の四男、芳郎と栄一の次女琴子は夫婦となる。山成家と阪谷家と渋沢家は親戚なのである。

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