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映画「いつかの君にもわかること」で何気ない日常に宿る愛を知る。

この物語は、近いうちに死から逃れられないことを悟った後の、残り僅かな父と息子の日々が綴られている。そのため、劇中でそれと分かるように、死に抗う姿を父は一度も見せることはない。受け入れたのか、諦めたのかは分からない。

語られることはないが、そこに至るまでにどれだけ苦しんだかは想像に難くない。妻は去り男手ひとつで育てなくてはならなかった状況、あまつさえ自分も親もなく施設などを転々として過酷な子供時代を過ごしたのだ。親の存在が子供にどれだけ重要であるかは身に染みて分かっている。何よりもあんな愛おしい息子の元を去らなければないない絶望。自分の死が避けられないことを知り、どれだけ苦しんだことだろう。

余命僅かな父・ジョンとまだ4歳の息子のマイケル。マイケルの母はいない。彼を生んで間もなく去ってしまった。まだ幼すぎた彼は母の愛情を知らない。しかし彼の日々は父の愛で包まれている。それは決して大仰なものではなく、ふと見過ごされてしまいそうなほどささやかで、でもそこかしこに宿る愛だ。

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そんな息子に注ぐ父の深い愛情はまるで、静かな雨がいつの間にかやさしく地面を濡らすように、ひとつひとつのシーンが観る者の心に降り注ぎ、ひたひたと満たしてゆく。

ふたりの愛おしい日常がスクリーンに映されていく中、同時に「なぜ?」という思いがぐるぐると心の中を駆け巡る。

なぜ、こんな可愛い息子を残して去らなければならないのか?と。

主人公のジョンと同じ思いを観ている間、ずっと考えずにはいられなかった。そして観た後も。

ある日、ふたりは34歳になるジョンの誕生日のケーキを手作りする。少し不格好だがマイケルの大好きなチョコレートのケーキだ。その上には赤い蝋燭がたくさん刺さっている。ジョンの年齢と同じ34本の蝋燭を立て喜ぶふたり。しかしそこでマイケルはもう一本赤い蝋燭を手に取り、それをジョンに渡すのだ。

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それはまだ大好きなお父さんに生きていて欲しいというメッセージか。あと1本、あと1年、来年、またあらたに蠟燭を立てられるように、生きていて欲しい。なんて率直で残酷な愛のメッセージだろうか。

さて、ジョンは自分が亡くなった後、息子を育ててくれる養父母を探す。いろいろな人たち、家庭が垣間見える。とてもリッチな家庭から、そうではない家庭、養子を迎え入れる動機や、子供との向き合い方は千差万別だ。中には、子供を育てることが自分たちの成長にプラスになるという、子供を利己的な手段として欲する気持ちの悪い夫婦も出てくる。

明らかにダメな家庭は分かるが、マイケルを託しても良いと思えるにはどこも決め手に欠けるとジョンは悩む。そしてどれだけマイケルのことを分かっているのか自信を無くすような中、ジョンはあることに気づく。マイケルがどう感じるのかが大事だということ。候補先の良し悪しを判断材料にしていたジョンはマイケルが良いと思うところはどこなのか、を考える。

すると、あるひとつの家庭(人)が浮かんでくる。

正直なんで? と最初は思ったが、考えてみると、その人だけは訪問してきたマイケルの相手をちゃんとしてあげていたこと。その後でマイケルがその時のことを絵に描いていたのだ。それだけ彼の心に残るものがあったのだろう。

他の家に訪問した時はどうだったか思い返してみると、確か、マイケルに声をかけることはあっても、主に話すのは親のジョンに対してで、マイケル本人とちゃんと話をしたり、遊んだりした大人はいなかったし、それぞれの訪問の後にマイケルがその時の出来事を絵に描いたことはなかったはず。それを考えるとジョンの選択は間違ってなかったと思う。

もうひとつ、自分が死んでしまった後、新しい父親にマイケルの記憶が上書きされてしまうのが嫌だったのかなという考えもチラッと浮かんだ。そんなつまらない自分勝手な理由で決めたとは思わないけど、結果的にそのことはジョンにとって、せめてもの慰めになったんじゃないだろうか。

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それにしても、この世を去るものが、この世に残す大切な人に自分のことを忘れて欲しくないと願う気持ちは分かるが、逆に、この世を去るものは、この世に出会った大切な人や思い出を忘れないでいられるのだろうか?

自分を愛してくれた父の存在をマイケルに忘れて欲しくないし、同じようにジョンも、愛すべき息子のことを忘れないでいられることを、願わずにはいられなかった。

愛すべき父と息子の日常を誠実に描くことに注力し、あざとく感動を誘うようなことなく、ただ過ぎていく日々にこそかけがえのないものがあること、見過ごされがちな細部にこそ愛が宿っていることを教えてくれる、忘れがたい屈指の名作。

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