間違える葦

まずここ最近やっている勉強について

最近は、今読んでる数学書の進捗が停滞してきたので、ガロア理論、位相空間、テンソル積の復習に全振りしている状況です。

何故これらの復習が必要かというと、
ガロア理論については、無限次ガロア理論がやりたいことの一つだからです。
そして今は、トレースとノルムのガロア理論的な解釈を得るため、有限次分離拡大L/Kの異なるLの代数閉包K上付きバーへのK上の埋め込みを走るσとLの元xを用意し、トレースとノルムをσとxを用いて表現したりしています。

位相空間とテンソル積については、クルル位相の導入で必須であり、その前にもいろんなもので出てくるため、要するにめっちゃ大事というわけです。(具体的に何を復習したかは膨大なため割愛)

こんな感じで1ミリも進んでいないと言いましたが、一応過去のおさらいをしているといった状況でした。


次に最近考えていることについて書きました。上手い文章が書けなくて恥ずかしいですが、ぜひ読んでください。(過去に印象に残った言葉を引用している部分もあります)

最近、私は社会に出て行った同期が羨ましくなることが多々あります。それは今自分が思い描いていた大学院生活とはかけ離れた日常を送っているからでしょう。
その度に、就職しても結局大変だし、大学院で学んだことが将来絶対に役に立つはずだ、と自分に言い聞かせています。

また、私は大学院を二つ受けていて片方が不合格だったため、必然的に今の大学に在籍しているわけですが、院試直前は、両方受かったら自分のやりたい分野の専門の教授がいる大学(不合格になった大学)に進学しようかな、と考えていました。しかし合格発表が終わった後、やっぱり実家から通えるし、友達もいるし、受かっただけ最高の結果だったな、と不合格に対してポジティブに捉えるようになりました。そして今もこれで正しかったと不合格という事実を正当化しています。


私たちは、いつも間違えてしまいます。不合格になり、浪人し、単位を落とし、留年し、バイトに明け暮れ、恋人とは喧嘩し、友達と疎遠になり、教育実習で終電を逃します。

しかし、「あのとき間違えたから、今があるし、今が楽しかったら結果オーライだよね」と間違いを正当化してしまう。誰にもその出来事や選択が、正解だったかわからないのに。
(このように「やりたかったけどできなかった」ことを正当化する考え方を認知的不協和と呼ぶそうです。)

だからといって、何が正解かもわからない怠惰な私たちから正当化が奪われた世界はあまりにも残酷です。

そこで一つの結論に辿り着きました。

「私たちが過去の出来事に対してできることは、正当化くらいしかないのかもしれない。だからこそ、過去を正当化するために、これからあたらしい選択を繰り返し続けること。過去の間違いを忘れるまで。」


何かを手に入れようとするとき、私たちは大体何かしら間違いを犯します。その瞬間、その間違いが我々の人生における未来の可能性を少しずつ削っていること、をどこかで認識しているはずです。そこから絶望感、無力感だけでなく、人生の切なさや豊かさを感じ取りたい。私たちは、考える葦でもあり、間違える葦ですから。






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