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モチベーションは承認欲求?

みなさんこんにちは。KageMushaです。

私は昔から絵を描いたり何か組み立てて作ってみたりと、ものを生み出すことが好きでした。最近はしょうもないデザイン制作やキャラクターのイラスト制作などの、かっこよく言えば創作活動をよくやっています。かなり聞こえはいいですよね 創作活動… (これから、ことあるごとに言おうかなぁ…創作活動)

なぜそれらを未だにやって来れているか、なぜモチベーションが生まれるのかと言われれば 好きだから と一言で返したいところなのですが、それだけでは無いのが現状です。

私は自分が作ったものを誰かに見せて、その人が喜んでくれたり楽しんでくれたりするのを見るのが好きだったのです。私はきっとそのやり取りに自分の価値を感じていたのでは無いかと考えると、そこに 承認欲求 があったことに気づきました。

創作活動が好き。自分の作品で人が喜ぶのが好き。

私が今まで創作活動を続けてこられた理由にはこの二つの原動力があったからだと思います。

ではこれらの原動力はモチベーションとして均等に振り分けられているのでしょうか?

この問いには私自身、今でも答えを出せていません。

なぜなら仮に承認欲求が極端に強かったとして人に認められることが何よりの喜びだと仮定しても、やはりそれほど好きでも無いものは続けられないはずです。きっとどこかで限界が来ていたはずですから。現に私が今継続出来ているものは私が心から好きだと言えるもののみです。

とは言え、創作意欲(創作活動が好きであることをこの単語に言い換えさせてください)が承認欲求を上回っていると考えるのも不自然だと感じます。
たとえ生み出したものが自己満足のものだとしても、無意識的にこの作品を見てどう思われるだろうと考えてしまっていることが良くあります。例えそれがどれだけしょうもないものだとしても見えない第三者のことを考えてしまっていると思います。あまり明確な根拠は無いのですが、何かを作っている時のことを思い出した時そこに嘘があるようには思えませんでした。

創作活動のモチベーションに含まれる創作意欲と承認欲求はもしかすると表裏一体なのかもしれません。それとも別の感情(憧れ、嫉妬、向上心)が混入している可能性もあります。自分を突き動かしているものの正体は分かりそうでなかなか分かりません。私を動かすのはこれだ!と言い切ること自体が愚かなのかもしれませんが、どうなんでしょうね笑

もともと創作とは理由があるから行われるものだと私は考えています。○○が必要だから作る。○○を作る人が必要だ。ただの目的のために創作が生まれるのか、それともそこに承認欲求のようなものが介入していたのか それは私には分かりかねます。私なんぞが創作を語るのも 偉そうな事を言うな という感じですが。

あれこれ考えてみましたが、これで一つ分かったことがあります。それは 私の価値は人に使われて発揮される ということですね笑
もっているスキルを私を動かしてくれる誰かに捧げる。そっちの方が圧倒的にやりやすいんです。なのでつくづくリーダーとかは向いてないなぁと感じます。
もう少し器用に自分を使いこなせたらなといつも思います笑
まずは巣食っているくだらないプライドを捨てるところから始めたいですねぇ…

かなり色々な方向に話が逸れてしまいましたが、定期的に自分を見つめ直す機会は必要なのかなぁと個人的には思っています。また何か思いつけば記事にしてみますね。
ではまた。

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