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サッカーと私

画像上部は三菱ダイヤモンドサッカーオープニングテーマの冒頭部分です。調がわからないので、ハ長調として書いています。最後のソーソからが主旋律で、それまではファンファーレともいうべき前奏です。
画像下部は左から故岡野俊一郎氏、故金子勝彦氏、学生時代の西野朗氏、西野氏の近影です。
 
日本の男子サッカーが女子に続いてパリ五輪の出場権を獲得したから言うわけではないが、何を隠そう私好々爺はサッカーファンである。中学、高校とサッカー部だった。いずれも全く無名の公立校であり、地区大会で敗退するので、県大会に出る事もない。しかもそのような弱小チームであって部員も大して多くないチームの中でも私はずっと補欠だった。公式戦なんか先発はおろか交替で出た事もない。練習試合の終盤に申し訳程度に出してもらった事が数回あるだけだ。無理もない。私の体育の成績は2か3が指定席で、3学期に体育でサッカーをやる時に稀に辛うじて4になったぐらいのアスリートだったのだから。ははん、最下層のマゾヒストの物語だな、と早合点してはいけない。エロネタが尽きた好々爺は非エロライターとして生まれ変わったのだ。これまで愛読して下さったフォロワーの皆様には申し訳ないが、閲覧数が激減しても、スキの数がゼロになっても構わない。noteシステムの励ましのみを頼りに書き続けようと思う。
さてプレーする方で全くダメだった私は戦術というものを全く理解していないから、テレビ観戦も乱暴だ。少しでもバックパスをしようものならテレビに向かって「どっちに攻めてるんだ!」と叫んでしまう。(あぶない、あぶない。私のPCは“せめる”と打てば第1変換で”責める“が出て来る。前世がばれる。)だから解説的な記事は書けない。Xのサッカーファンからのポストには動画を添付して「この動きはすごい」などと選手個人やチームのプレーを解説するものもあって感心してしまうが、私にはとても無理だ。その前に、サッカーの試合を見る機会がそもそも少ない。エンゲル係数の高い生活をしている私はスタジアムでJリーグの試合を見たのは1回きりで、WEリーグやなでしこリーグはゼロだ。スカパーやDAZNなどの有料放送は見ない。さすがにBSアンテナは備えているのでNHKのJリーグタイムは時折見る。あとはエロいyoutubeを見終わるとサッカーのサムネイルが現れてそれを見ることもある。そのくらいだ。だから最近のサッカーについて語ることはできないが、昔の思い出について語ることはできる。次回以降(来週ではない)、銅メダルを獲得した1968年メキシコ五輪の前から歴史を振り返りつつ思い出を述べたい。資料を見ずに誤った事を書くこともあると思うが、ご容赦願いたい。もちろん、ご指摘いただけたら、訂正記事を出すつもりである。

今回はサッカー自体ではなくサッカーを日本に広めるのに貢献したメディアについて紹介する。まずは東京12チャンネル(今のテレビ東京)で週1回放送されていた”三菱ダイヤモンドサッカー“。メキシコ五輪でコーチを務めるなど指導歴の長い岡野俊一郎氏とアナウンサーの金子勝彦氏がイングランドなど海外の試合を1試合を2週に分けて紹介していた。今回ネットで調べて驚いた事がいくつかある。まず放送開始が1968年だった事。白黒の印象があったので、もっと前からやっていたかと思った。次に当初の放送開始時刻が土曜の夕方6時からだった事。夜の10時くらいだったように記憶していた。最後に放送時間がわずか30分だった事。多少カットされていた記憶はあったが、オープニングやCMやアディショナルタイム(当時はロスタイムと言った。金子アナはかっこつけてインジュアリータイムとも言ってたが)を考えると試合時間をほぼ半分にカットしていた事になる。それでもスピードに溢れ迫力ある海外の試合を目の当たりにして非常に興奮して見ていたので、30分間でもごちそうさまという感じだった。岡野さんの適切な解説は各レベルの選手にとっても参考になったと思うが、時には解説者を逸脱してサッカーファンに戻っての発言もあった。もちろん松木安太郎氏のようなお下劣なファンではない。ゴール右上隅を狙った20m超と思われる強烈なロングシュートをGKがはじき出して「This is the football. これがサッカーですよ。」と英語と日本語で叫んだり、平均レベルの選手がシュートを外すとしばしば「釜本君に打たせたかったですね」と言った。釜本邦茂は次回以降でも紹介するが、メキシコ五輪での大活躍で海外移籍の話も出たが、体調を崩してその機会を失ったのだ。釜本が欧州で活躍する姿を見られなかったのが残念だという岡野さんの親心が現れたコメントだと思う。一方金子アナも”実況“レベルを超えた深いコメントをするようになった。もとより生放送ではないので、色々うまいコメントをひねり出す暇は有るのだろうけど、私が覚えているのは1974年西ドイツW杯の欧州予選イングランド対ポーランドでの事である。最終予選の最後のこの試合でポーランドが出場権獲得、イングランドが敗退となった。イングランドの猛攻をしのいでポーランドが逆襲に出た時、中盤付近まで上がっていたイングランドの最終ラインのノーマン・ハンターが相手の快足FWの後ろから抱きついて止めたのだ。黄色か赤いカードが出て、このFKが直接ゴールには結びつかなかったと思うが、金子アナは「私はこれを見てイングランドサッカー敗れたり、と思いました」と言ったのだ。三菱ダイヤモンドサッカーではないが、”ドーハの悲劇“と語り継がれる1994年米国W杯のアジア最終予選最後の日本対イラクの試合はテレビ東京で放送され、金子アナが実況を務めた。予選敗退となった試合終了後、金子アナにコメントを求められたゲスト解説の岡田武史氏が悔しさで無言を貫いた事が後年伝えられたが、当時岡田を知らなかった私は金子アナの絞り出すような沈んだ声が記憶に残っている。金子アナは2023年に亡くなっているが、新聞の訃報に三菱ダイヤモンドサッカーなどサッカーの報道で知られた人というような記述があったと記憶している。

テレビが三菱ダイヤモンドサッカーなら雑誌はサッカーマガジンである。1966年に創刊された。私は自分では買った記憶が無いが、時折読む機会はあった。1996年アトランタ五輪で “マイアミの奇跡”と呼ばれた日本がブラジルを破った試合があるが、監督としてこのチームを率いたのが西野朗氏である。西野は後にガンバ大阪の黄金時代を築き、ハリルホジッチ監督解任後の2018年ロシアW杯では日本をベスト16に導いている。選手としての西野は高校サッカーで活躍し、彼が早稲田大学でも注目されていた頃、サッカーマガジンにインタビュー記事が載った。私が憶えているのは
“「好きな女性タレントは?」「酒井和歌子さんです」「ずいぶん年上だね」「年上でもいいんです」と西野は少しムキになって答えた。”というようなくだりである。酒井和歌子は美人女優で加山雄三の若大将シリーズで星由里子の後を受けて何作かでヒロインを演じていた。ただ加山よりはずっと若く、ある時陰で加山の事をおじさんと呼んでいた事が加山に知られて加山がショックを受けたという逸話もある。要は覚えていたのは西野よりも酒井和歌子の方であり、私はその程度のサッカーファンなのだ。
 
今後も官能小説レビューなど、エロネタも思いついたら書きますので、たまにはチェックしてみて下さいませ。
好々爺拝

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