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自分らしさ Part1

はじめに

皆さんこんにちは、初めましての方は初めまして。たまに1on1チャンネルに姿を見せるひろきです。

こうやって文章にすることはあまり無く、自信がありませんでした。
けれど、自分の思いや経験など、人に伝えるにはこういったやり方もあるのと、喋って伝えるということが得意ではないので、今回は頑張って自分のことを話したいと思う。誤字脱字や、変な文章になったりと粗さがあるかもしれませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。今回話すことは、かなり長くなるので、高校までと大学からの2つに分けます。今回は前半の高校時代までを話します。

自己紹介

大阪旅行したときの阪急電車

これまで

これから、ここまでのTABIPPOに入るまでの人生を簡単に振り返りたい。僕は現在、札幌市内の大学に通う大学2年生。生まれも育ちも札幌で、20年間札幌生活。趣味は、電車旅、youtube鑑賞(野球系が多い)、散歩、プロスピをすることだ。

幼稚園時代→まず、とにかく先生にお世話になった。僕は当時、マリオやonちゃん(北海道テレビのキャラクター)、忍たま乱太郎、電車が異常に好きであった。それぞれ、そのキャラクターの役になりきったり、電車の駅などで先生と一緒に毎日のように遊んでいた。このように、少し特殊な趣味を持つ人だったが、自分の好きなことを目一杯楽しめた。

小学校時代→習い事でピアノ、陸上、水泳を経験。特にここで活かすことができたのが、4年生の時に習っていた陸上だ。この経験があって、速く走れるようになり、ありがたいことに運動会のリレー選手に6年連続選出された。ちなみに1年生から3年生になれたのは、自分でも謎である。

中学校時代→市内の公立中学へ進学。小学校のときの学力が異常に悪かったため、塾に通っていた。その結果、少しだけ成績が上がった。塾がきっかけで勉強を自分からやれるようになった。他にも、クラスで教室を装飾したり(これは僕の学校独特な行事)、合唱をするなど、仲間意識も学習した。

高校時代→午前部・午後部・夜間部の3つの時間帯に分けられた特殊な定時制高校に進学。この学校は、決められた時間割で授業していくのではなく、自分の好きな授業を選んで受けるタイプであった。大学にかなり近いシステムだった。また、授業はもちろん、学校生活自体がとにかく自由で、好きなように過ごせた。(例→毎日が朝からではない、昼食は外でも食べれる、帰る時間が昼の日も)楽しかった。さらに、卓球部に所属し、ひたむきに練習していった。

ここまで、簡単に書いてきたが、その中で苦しみも経験している。性格と合わせて紹介していきたい。

苦悩の日々 

僕は、今までの人生の中ですごく楽しかったと言える時期、いわゆる黄金期は幼稚園と高校の少しくらいしか言えない。小学校と中学校は、一言で言ってしまえば暗黒期。楽しかったことより辛かったことの方が多かった。特に、小学校高学年と中学校。この時期は、とにかく嫌だった。僕は、クラスや学年の中でも、かなり目立つことのない静かな人で、あまりに僕以外の人は楽しそうにやっており、置いてかれたように思った。そのため、一時は「自分がいなくてもこのクラスは成り立っていくのでは」とマイナス思考になることもあった。それだけではない。集団で怒られるあの殺伐とした雰囲気。合唱の温度差で崩壊寸前のクラスの緊張感。繊細な人間関係。とにかく嫌だった。自分だけ怒られるだけでなく、集団で怒られるときも、自分にも矛先を向けられたと思い、嫌の一言だった。もちろん、その中の同級生を否定しているわけではない。ただただ、集団で動くということが好きではなかった。

自分らしさの表れ 

ただ、それが高校に入ってから、驚くほどに変わっていった。私服校なのと、授業は自分次第、生活も自分次第、自分で時間を作れる少し特殊な高校へ進学した。しかしその「特殊」が僕を変えてくれた。携帯を持ち込めるようになり、情報の共有ができるようになったり、SNSの力を感じるようになったのも高校に入ってからだ。その結果、友達の価値観や内面性をより感じられるようになった。そして、何より自分で「カスタマイズ」できるようになったことが大きかった。先ほども言ったが、授業や生活が自分次第なのだ。これは、授業終わりにそのまま家に帰っても、友達と遊んでも、学校に残って勉強してもとにかく過ごし方は、自分で決められる。(例→月曜は昼に授業終わって駅へ外食、火曜は夕方に授業終わって、残って勉強するetc..)
こうした背景があって、自分の心の中で余裕が生まれ、友達と過ごせる時間も増えた。

ただ、高校の時に失敗したことも2つある。
1つ目は挑戦力が足りなかった。僕は卓球部に所属していたが、結果を残せず、ほとんど1回戦で負けていた。それなのに、チーム事情から部長を任せられることがあった。卓球の知識があまりないのに、チームを引っ張っていった過去があった。そこは失敗だった。部活以外でも、資格やさまざまなプログラムに挑戦すればよかったと後悔している。生活に慣れたい気持ちや学校の勉強に集中してしまい、他の活動を行ってこなかった。
2つ目はコミュニケーションの適度な距離だ。元々、人を盛り上げることや話しかけていくことが極度に苦手だった僕だったが、高校時代から、初めて話しかける気持ちが強かった。もちろん、それで成功したこともあったが、話しかけすぎで、相手の距離感が分からなくなり、縁を切られたこともあった。また、違う意味で悩み始めてしまった。「完璧主義」を求めすぎたことも失敗になった。

Next Stage

この2つの失敗があったことが、大学生活の教訓になったり、TABIPPOに入る決意となる。大学入学編に続く。

この続きは近日公開します!


函館旅行したときの八幡坂

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