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自分らしさ Part2 ~世界はTABIPPOへ~

はじめに

札幌在住のひろきです。自己紹介は、Part1のほうで紹介しています。ぜひそちらをご覧ください。前回まで、小、中、高の話や苦悩を紹介してきました。主に、人間関係や周りの環境で苦しみながら、何とか生活してきました。そして、ここから大学編。実は私、高校時代は楽しかったのですが、もっと刺激的なことをやってみたいと思いました。その中で、ラクロス部というスポーツがありました。その動画を見て、すぐやってみたいと決心し、始めました。ですが、ラクロスは1年足らずでやめてしまい、今に至っています。何があったのかこれから具体的に話したいのと、なぜTABIPPO学生支部に入ったのか、どうやって知ったのかについて話していきたいと思います。

期待と不安の大学1年生

今までとうって変わった高校生活が終わり、別れを告げた3月から早1ヵ月。推薦で大学が決まっていたこともあり、どちらかというと入学まで、余裕を持って過ごせた。そして、4月大学に入学した。最初は、話せる人がおらず、ほとんど一人で過ごすことが多かったが、パソコンのセットアップで協力したことをきっかけに話せる人が少しずつ増えていき、まずまずのスタートをきった。他にも、グループワークでも、話せる機会が多くなったことで、楽しさが増していった。そんな交流が増え、自分の中で「新しいことにチャレンジしたい」という思いが出始めた。そこで、大学のツイッターやインスタなど、さまざまなSNSを見ていたところ、ラクロスというスポーツを見つけた。(ふたりはプリキュアを見たことがある人はわかるかも)今まで見たことのないもので、斬新で、ほとんど大学から始められるという魅力にひかれた。こういったこともあり、ラクロス部の入部を決めた。最初は、zoomでの学部を超えての交流が楽しく、緊急事態宣言が明けてからの練習のパス回しが自分の中でモチベーションが上がった。こうした楽しさもあり、大学を過ごしていた。しかし、試合に向けての練習が始まると当初のモチベーションが徐々に下降状態になっていき、楽しさよりも難しさを覚えていくようになった。特に、8月のリーグ戦が始まる当たりになると、グラボという相手とぶつかりながら、ボールをクロスというラケット的なもので拾い上げることに苦戦した。さらに、フォーメーションでも壁にぶつかった。試合の状況や得点、守備や攻撃の時によって、動き方が変わるため、どう動けばよいのか分からなかった。分からなかったので、先輩とマンツーマンで指導したこともあったが、これが僕にとってなかなか手ごわいものだった。けど、やめなかった。そのときは、やめたら、今いる人間関係が壊れるかもしれないだったり、続けるのは美徳など部の雰囲気を壊すのに恐れたからだ。部に入っていれば、そこしか味わえない交流や人との付き合いがあるため、逃げられなかった。その後、なんとかやっていったが、どうしても2年生になった時の自分が想像できず、大学1年の12月に退部した。今考えれば、12月までにやれたほうがすごいと今でも思う。結局、ラクロスという中身よりも、自分の好きなことを優先してしまった。しかし、この辞めるタイミングで、大学4年間の有意義性を始めて考えた。辞めてから、大学は4年「も」あるのではなく、大学は4年「しか」ないと考えた。また、「僕はなぜこの大学のこの学科に入ったんだろう」ともう一度考え直したこともあった。人生はここからが長い。そう考えるようになった。そう、ラクロス部に入っていたのは、交流がしたかったのが第一だった。ラクロスをやりたかったことが一番ではない。そう答えが出たため、きっちりとけじめをつけた。一方、学科のほうはというと、ありがたいことにみんな優しく、協力的な人が多かったため、関わりやすかった。さらに、講義で廃校利活用のプロジェクトやグループで即興劇(カウンセラーや学校の先生、同窓生になりきるなど)を行ったりなど、話す機会が非常に多かった。そのこともあって、普段話さない人でも、一緒に課題を解決する時間ができた。とにかく大学に行くことが楽しく感じられるようになった。さらに、1年の10月にもう一つの同好会の旅行研究のサークルの旅行をきっかけに学科の先輩を知り、すごくフレンドリーに接してくれた。その先輩のおかげで、大学の過ごし方、そしてその人の同期の友達とも仲良くなれるようになった。旅行研究のサークルは、本当に僕にとってカラーが合った。ラクロスを辞めてからは、そのサークル一本に絞っていったが、2月に北海道の滝川市でランターンのイベントが開催されることとなり、そのボランティアに行った。そのイベントで初めて、後に同じ札幌支部のメンバーとなるゆうじと出会った。ゆうじは、一言言って趣味が合う人だった。また、ゆうじは長野県の人であったため、同行していたもう一人学科の仲の良い友人で、同じサークルにいた人が、長野の諏訪神社や守屋山など、諏訪地域を愛していたため、余計に仲が良くなった。ちなみに、この友人とゆうじで旅行をしたこともある。そんなこんなで、激動の1年生が終わった。


高校時代は卓球部でした
ラクロス用具 クロス(左)とヘルメット(右)

TABIPPO学生支部と出会った2年生

ラクロス部という、活動の多い部活にピリオドをつけてから数か月。2年生では、学科に特化した活動に参加していこうと自分の中で目標をたてた。これまで活動していた旅行研究同好会に加え、ボードゲーム、さらには国際交流の部活、オープンキャンパスのスタッフにまで足を踏み入れていった。いろんなことを活動していっていたが、本題に入る。TABIPPO学生支部との出会いだ。「旅」を大学生活の軸にしたいという思いは、1年生の中ごろから芽生えていた。ラクロスをやっていたときも、時々北海道内や東京、大阪などへ旅行していた。
TABIPPO学生支部に加入する一つ理由が、この「旅」をどうしても捨てきれず、軸をスポーツから変えたかったのだ。
もう一つの理由として、もう一度リスタートしたい、自分の個性を自分で知りたい、他の人に知らせたい、そういった思い出で始めた。
そして実は、そのTABIPPO学生支部は、高校時代の部活の先輩からの紹介で知った。僕が高校を卒業する直前、その人からBackpackFESTAの案内が来た。どういうものだろうと中身を見てみると、旅を楽しむ、若者に旅を広めるということが書いてあった。最初は、「おもしろそう」と思っていたが、その時は大学の部活の方で頭がいっぱいだったため、見送った。1年生からもできたが、先ほど書いた理由のため断念した。しかし、1年生のほうでも書いた理由の通り、ラクロスを4年間に捧ぐことが厳しくなったこと、4年間の意義を改めて考え直すようになった。

そして、加入から半年。私は大きいイベントには、東北旅と山梨合宿にしか行けていないが、本当に出身も文化も違う人と出会うということは自分の中で良い経験にしてくれるものだと思った。人との出会いは、旅を良くしてくれる。人を良くしてくれる。これに尽きる。この人との出会いで、ただ観光地を巡るだけでなく、人に会いに行くという価値観に変わっていった。それがTABIPPO学生支部に入ってからしみじみ感じたことである。


初めてゆうじと学科の友達で行った函館の函館山

僕の「旅」

最後に僕にとっての「旅」を話したい。僕は今に至るまで、旅が好きになったきっかけを3つ紹介していく。
1つ目は、僕は、小さいころから、ありがたいことに、関西に連れて行ってもらったからだ。阪急電車やJR西日本、大阪の地下鉄に良く乗った。これが積み重なり、鉄道好きになった。むしろ、軸である。
2つ目は、昔北海道のみで放送していた、現在俳優で活躍する大泉洋が出演していた「水曜どうでしょう」というテレビ番組にはまったからだ。主に、行き先をサイコロを振って決めるサイコロの旅や、北海道のカントリーサインを引いて行き先が決定するカントリーサインの旅、さらに、東京から北海道までの東日本編、京都から鹿児島までの西日本編の2つのシリーズのカブで日本を走る企画などたくさんの企画があった。これらの放送を見て、次自分が旅するときは、こうやって旅しようと想像しながらやっていくことにはまった。
3つ目は、これは最近の話だが、鉄道youtuberの西園寺さんに影響されたからだ。西園寺さんは、鉄道などの公共交通機関を使って、日本の半分で鬼ごっこしたり、普通列車のみで北海道の稚内から鹿児島の枕崎まで移動するという企画力がとても半端ない。また、同じ大学生でもあり、自分でもやってみたいと興味を持たせてくれる人である。
こういったことがあり、更に旅が好きになった。けど、自分は知らない町に行くこと、あまり見ない町のつくりや食べ物を味わうこと、そして普段あまり使わない乗り物に乗っていくことも旅の一つになると思う。僕は、普段味わえないそのときの「非日常」というのを大切にしながら、その「旅」を思う存分楽しむ。これが、僕が思う「旅」だ。

終わり


長文、読んでいただきありがとうございました!
次回は、TABIPPOの活動の振り返り、さらに僕の個人活動である1on1とメンバーの誕生日祝いのことを話したいと思います!この記事は近日公開します!お楽しみに!

そして、まだまだ分からないことが多く、未熟者ですが、これからメンバーに少しでも知ってもらえるように活動していきます!これからもどうぞよろしくお願いいたします!


水曜どうでしょうにも出た、HTB(北海道テレビ)のマスコットキャラクター onちゃん
ちなみに、僕はアニメのDVDやぬいぐるみを持つほど、小さいときから好きでした。


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