日本人であることを誇りに思う?
たまに聞くんですよね。
日本人が世界的な賞を受賞した、とか
世界大会で日本代表がよい成績を残した、とか
そういうときに。
いやー昨日の試合、よかったですね!
日本人として誇らしい気持ちになりますよね!
とか。
ふむ。
何度もnoteに書いていますが、わたしが日本人なのは、偏に偶然です。
両親とも日本人で
日本で出会って子を生したから
日本に日本人として生まれた、というだけ。
わたしが自分で選択したわけではないし
日本人になる為の徳も積んでいません。
わたしに限らず、あの人もこの人も、日本人に生まれたのは全員「偶然」であって、わたしたちは偶然の寄せ集めです。
それなのになぜ、会ったこともない日本人の尊い行いに乗っかって、自分まで誇らしい気持ちになってしまったりするのでしょう。
ちょっと、図々しくはありませんか。
…
たとえば、そう。
自分の子どもが名門小学校のお受験をして、合格したとしましょう。
小学校受験は、本人の努力もさることながら、親御さんの奮闘がかなり効いてくるといいます。
お金も時間も手間も掛けて子を慈しみ時に厳しく指導を行い家族一丸となって頑張ってきたことが結実したと。
そういう場合は「うちの子、あの○○小学校に受かったんザマス。オホホ」と誇らしい気持ちになって然るべき、という気がします。
知らんけど。
中学受験も、そういった側面があるかもしれませんね。
これが高校や大学だったらどうでしょう。
周囲の影響もあるとは思います。頑張る前に頑張る気持ちを挫かれて意欲を冷却化されたら受験しようという気も起きませんから。
でもどちらかと言えば本人の努力の賜物、と捉えられるケースが多いのではないでしょうか。
ではもっと範囲を広げて、出身校や出身地、だったらどうでしょう。
自分と同じ中学校から金メダリストが出た。
地元からメジャーリーガーが生まれた。
誇りに思いますかね。
それが同級生でもなく、その功績に特段寄与しておらず、かすってもいない存在だったとしても?
…
一方、サッカー男子ワールドカップで日本代表が躍進したとき(女子もすごかったですね!)予選リーグで敗れたアジアの人たちが現地に留まり日本を応援してくれている姿を見て「日本を同胞と思ってくれているのか!」と、わたしはとても感動しました。
おや?
話が違いますね。
アジア人に生まれついたのも偶然なのに。
となると、もし宇宙人と交流するような時代になったとして、その場合は国を越えて「地球人」の活躍を「誇りに思う」ということが有り得るのでしょうか。
アルマゲドン的な?
Don’t want to close my eyes~♪
地球に生まれたのもまた、偶然ですけど。
悟空はサイヤ人ですが、地球で生まれ育ったから「誇りに思う」対象に含まれるのでしょうか。
サイヤ人とか関係ない、悟空は地球の宝だ!
あれ?
日本人として誇りに思う、には個人的に「ちょっと厚かましいんじゃないの、あんた全然関係ないじゃない、何も貢献してないのに」と思うわたしです。
それなのに、アジアとか地球規模になってくると何か親愛の情が湧いてきます。
なんだこれは。
しばし、考えてみる必要がありそうです。
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